東北人としては誇らしくなる名場面ですが、なのになのにそれなのに
全く逆のベクトルを妄想したくなる、永遠の中二病重症患者です(笑)
これを大宮人を主人公にして昭和元禄にスライドできないのだろうか?
たとえばQ日本兵(特攻隊だったかな)が、最後のラストに家族に当てた
手紙を読んで「自分にはこんな文を書けない・・・」と恐れ慄いたという
大先生のミッシーマとか?
・・・そんな大先生は、その「戦争」に勝とうとしてたんじゃないのか?
基地区BEーAーとか、いわゆる「敵に勝つ」って意味じゃないです。
もしかしたら昭和元禄に、のほほんと生きていたらこんな恐るべき名文を
書けなかったのかもしれないこのQ日本兵は、戦争ってものに付随する
「最強のドーピング剤を摂取しただけだ」
戦争に間に合わなかった・届かなかったミッシーマは強がったのか
そんなふうに解釈してみせた(と勝手に妄想してみせた、笑)
安倍晋三ちゃまのご先祖と言われるモノノフの思わぬ返歌に
恐れおののくだけで、みっともなく恥をかかされた京の大宮人と
同じように惨めに敗北を認めるミッシーマ先生ではありませんでした。
(と勝手に妄想したのでした、笑)
時代的に戦争に関われないサダメの大先生は、戦争ってモノそのものに
勝つことでしか(凌駕することでしか)無名の兵士の書いたあの文章に
勝てない(凌駕できない)と思ったのでございます!
(というよりは、戦争ドーピング無しの境地で俺は書いてみせる!)
(だったのかも?)
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格の違いすぎる人間が考えてることなんて、僕にはわかりませんが、
ありもしない妄想をあれこれ考えるのも楽しいものです。
仮にこの妄想が「在り」だったとしたら、ミッシーマ大先生には
「戦争に勝利した」「戦争を利用しなくても」スゴい存在だった
でいて欲しいと思ってます。
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・・・そして、そうです
みなさんは今回のタイトルを読んだ瞬間に
別の意味に誘導されたんです!(笑)