2025/09/04

まるでかなり初期の量子コンピュータ(EQUAL日の出くん)

「死んでるわけじゃない」=「生きてる」
「死んで、いなくなった」=「死んでる」

清吉くん(大本開祖の次男)の消息を伝える神様の言葉を
思い出したら「なんか量子コンピュータみたいだなw」と
思いました。(その機械は「よく知らんけど」状態なのに、笑)
さすがの清吉くんも、2025年現在はすでに肉体は無くなってると
思いますが、この神示の時点ではまるで量子コンピュータを思わせる
状態だったのかもしれませんね。

清吉くん ≒「日の出の神」らしいのですが、
僕個人が「日の出」からイメージするのは、
地平線から半分「出てる」半分「隠れてる」
そんな状態の太陽です。
もちろんその比率は「50:50」じゃないとしても、
00」なら日の出前 「00:」だと登りきった状態で
それを日の出とは・・・僕だったら見なさないかな。
こちらもなんの因果か量子コンピュータを思わせる肌触りです。

ここら辺りでちょっと妄想に加速がかかりますが、
 「出雲」に「雲」がくっついてるのは、ハーフトーンであるいは
完全に太陽の姿をシャットアウトするけどそれなりに光も通す。
それを誰にでも解る状態を表すのが「雲」だから?かもしれません。
「クラウド」って言葉を通じて出雲とコンピュータが繋がるのは
実は偶然じゃないのかも?なんちゃらの見えない手が・・・?
(ちと強引か)

② もしも地球が透明なシャボン玉だったら、いつでも日の出は
「100:0」の完全円形放射状になるはずですが、残念ながら
(肉眼では)光を通さない地球に遮られてしまう・・・
「天照国照」の状態でしか人間の目には映らないのでしょう。

③ 憧れの「水晶の世」とは、世界全てがキラキラ透明な水晶になるわけ
じゃなくて、人間サイドの「視力」(能力)が、地球を透かしても
光を感じる状態にメタモルフォーゼした未来をいうのかもしれません。

なんか人類以外でもそんな芸当ができる生物はいそうだけど(笑)
それにコンピュータどこ行った?ってまとめですが。

井の中の蛙、大海を知ら(ナクテモ幸セダッタハ)ず?

「一から八の世の中じゃダメ」「九十があるんだから」
こんなニュアンスは日月神示だけじゃなくて金井南龍も
発言してたと思います。

日月神示は戦中戦後の接点に、金井南龍も戦中戦後を生きた人物
ですが、大戦ビフォーアフターに位置してることは単なる偶然
なんでしょうか?
もし仮にふたつの大戦を皮肉な「プラス思考」で眺めたら、
「井の中」≒「1から8」から無理やり?引き釣りだされた
無防備なまま?「大海」≒「九十の世界」に放り出された
ピョン吉ヒューマンの姿がそこに在ったのかもしれません
という今回の記事(妄想)

僕の情報網では存在するのかしないのか不明ですが、もしも仮に
悪の秘密結社が存在して、ふたつの大戦をマッチングしたとすれば、
(それを阻止できなかった)カミサマ・ホトケサマは
「なにやってたんだよ」って話になりますが、
その尊き存在が「一から八の井の中の神・仏」だったのに対して、
彼ら秘密結社が1~8を超えた「九十」の大海から顕現した存在
だったから?
だから「1神仏8」は「9大戦10」を阻止できなかったのでは?

ヒッキーアマテラスを強引に岩戸から引き釣りだしたタヂカラオを
ディスる言葉が日月神示にあったと思います。
実は岩戸とは「一~八」の井の中のことで、その中に引きこもる状態も
それなりに幸せだったアマテラス(プラス地球人類たち)
しかし強引な岩戸開きによって「九十」の大海に連れ出された彼らたち
私たち
そんなタヂカラオの強引さを日月の神は非難していたのかもしれません。
だがしかし、皮肉なことにその「邪・よこしま」な行動によってでしか、
アマテラスや人類を「九十の世界」に引っ張り出すことはできなかった?

この場合のタヂカラオ ≒ いわゆる悪の秘密結社という等号が存在するの
かもしれません。
日月神示の「悪の悪口は言うな」「悪にも御用がある」
王仁三郎の「この大戦をくぐり抜けなければ国常立尊は世に出せなかった」
これらの発言の「?」がクリアになったような気がしました。

もしも悪の秘密結社が人間の目線から見たら「悪」だったとしたら、
それは「井の外なんて知りとうなかった」というカエル人間たちが、
「1~8でもそれなりに幸せを紡いでいた」数多の人間たちが、
慣れない見慣れない九十の世界に放り出された結果生まれた
数え切れない不安や嘆きを産む事になったから?
そんな人間サイドの都合でしかない、皮肉な目線は存在しないのか・・・
1エデン8で楽しく暮らしてた人類は「九十の実」を食べちゃったので
9楽園追放10となりました~(めでたしメデタシ~、笑)
こんなアレンジバージョンも出来るのかいな?
とかなんとか分かったような事を述べてますが、
僕がこのブログで何度か「⦿(一二三四五六七八)九十」の世界に
広がるであろう「弥勒の世」をおっかなびっくりに身の程知らずに
ディスってるのは「1バブル8のそよ風に吹かれただけだけど」
「結構幸せだったよ」って記憶がどこかに残ってるせいかもしれません。
今回も(9弥勒10の風が)吹けば飛ぶような想い出を美化したいがために、
こんな1皮肉8な 解読をしてるのかもしれませんね(笑)