2025/09/19

イミテーション(イワレ)彦の「ほんとう」

金井南龍を曲解してみたいと思う。
彼は神武天皇の名前の一部「イワレ」とは
「イミテーションって意味である」と断言してた。

僕は天皇ってモノを考えるとき、
真っ直ぐな鉛筆みたいな棒状の棒の真ん中を軽く握って、
上下にゆらゆらとふるべすると、
「ほら!曲がって見えるよ!w」
なぜかそんな光景を連想すると以前書いた。

実はジンムがEQUALイミテーションというわけじゃなくて
そんなイミテーションなインチキをしなきゃならないのは
人間さまサイドの欠陥というか「イマイチ感」が原因で、
そんな子ども騙しに引っかかる側に問題があるのでは?
と思った。

「この程度の国民にはこの程度の政治」と政治家の誰かが
言ってたみたいだけど、それは神と人の間でも成り立つのかも?
つまり「実はイミテーションである」とバレちゃったのは
人間さまなのかもしれない。

・もうちょびっとマトモな地平に天降れたら、ジンムさまだって
イワレなイミテーション仕草をする必要は無かった?

・もし誰か人間が八咫鏡を覗き込んで、ウルトラリアルに映る
自分の鏡像に対して「あ!イミテーションだ!」と叫んだとしても
八咫鏡自体がイミテーションってことにはならないだろう。
金井南龍だけじゃなく王仁三郎の言動も見てると
「なんか嘘ついてるような?」って疑念が時々浮かぶけど、
ワカラズ屋を相手にするときには「嘘も方便」なんだろう。
イミテーションになるしか仕方ない、のかもしれない

という今回の記事でございました。
僕に悪口 イワレ放題の、そんな人間種族のひとりが、
「うつし世は夢 夜の夢こそ、真」
という美しい表現を残しています。
僕が夢を観るのが大好き人間のせいかもしれませんが、
今回の記事とどこか繋がってる気がします。

以前発表した記事と絡めてラスト
戦争中はウルトラ悲惨な時代だった、にも関わらず
天津民も国津民も、まるで隠し砦の三悪人のような
美しい夢を観ていた。
だけど僕にとってあの映画のラストシーンは
なんだかとても「残酷」に見えました。

その「残酷」と、戦中戦後を生きた南龍氏の
「人間 EQUAL イミテーション」というネタバレが
どこか繋がっているような「夢」を見てる、おっさん一匹です(笑)