彼は神武天皇の名前の一部「イワレ」とは
「イミテーションって意味である」と断言してた。
僕は天皇ってモノを考えるとき、
真っ直ぐな鉛筆みたいな棒状の棒の真ん中を軽く握って、
上下にゆらゆらとふるべすると、
「ほら!曲がって見えるよ!w」
なぜかそんな光景を連想すると以前書いた。
実はジンムがEQUALイミテーションというわけじゃなくて
そんなイミテーションなインチキをしなきゃならないのは
人間さまサイドの欠陥というか「イマイチ感」が原因で、
そんな子ども騙しに引っかかる側に問題があるのでは?
と思った。
「この程度の国民にはこの程度の政治」と政治家の誰かが
言ってたみたいだけど、それは神と人の間でも成り立つのかも?
つまり「実はイミテーションである」とバレちゃったのは
人間さまなのかもしれない。
・もうちょびっとマトモな地平に天降れたら、ジンムさまだって
イワレなイミテーション仕草をする必要は無かった?
・もし誰か人間が八咫鏡を覗き込んで、ウルトラリアルに映る
自分の鏡像に対して「あ!イミテーションだ!」と叫んだとしても
八咫鏡自体がイミテーションってことにはならないだろう。
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金井南龍だけじゃなく王仁三郎の言動も見てると
「なんか嘘ついてるような?」って疑念が時々浮かぶけど、
ワカラズ屋を相手にするときには「嘘も方便」なんだろう。
イミテーションになるしか仕方ない、のかもしれない
という今回の記事でございました。
僕に悪口 イワレ放題の、そんな人間種族のひとりが、
「うつし世は夢 夜の夢こそ、真」
という美しい表現を残しています。
僕が夢を観るのが大好き人間のせいかもしれませんが、
今回の記事とどこか繋がってる気がします。
以前発表した記事と絡めてラスト
戦争中はウルトラ悲惨な時代だった、にも関わらず
天津民も国津民も、まるで隠し砦の三悪人のような
美しい夢を観ていた。
だけど僕にとってあの映画のラストシーンは
なんだかとても「残酷」に見えました。
その「残酷」と、戦中戦後を生きた南龍氏の
「人間 EQUAL イミテーション」というネタバレが
どこか繋がっているような「夢」を見てる、おっさん一匹です(笑)