「0」と「1」がランダムになんかやってて
色んなことが出来るみたいですが、
お笑いをザックリ「西」「東」に分ければ、
関東のお笑い=「0」 関西のお笑い=「1」になるのかな?
お笑いオタクじゃないのにそんな妄想が浮かんだことがありました。
リアルタイムの記憶は確か無いんですが、懐かし映像的なもので、
こぶ平のお父さんがコメカミ辺りに手をやって
「こうやったら笑うんですよ!」って芸を見たことがあります。
あれが関東のひとつの究極の、ゼロの笑いなんじゃないかな?
当然ですが笑いが起きないって意味じゃないです。表現が難しいですが
「存在しないゼロを笑ってる」と言えばいいのか・・・
もしかすると、たけしの「思わず笑ってしまいました」って言葉は
これ以上ない「言い得て妙」だったのかもしれません。
思い当たる理由「ゼロ」なのに、笑って「しまってる」わけですから。
落語は・・・こちらは東西関わらず、正確な「ゼロ」じゃないけど
ゼロ的なのかいな?オチが分かってるのに笑ってるところが。
とんねるずはあまり見ませんでしたが、彼らも1じゃない、
ゼロを念頭に置いた笑いだった?と思えてきます。
(最近だとズンの飯尾のフリートークじゃなくて、あのつかみのネタは
かろうじて残った「0」なのかな?)
そんな時代も流れ流れて現在では、出身や芸を磨いた土地に関係なく、
日本の笑いはやんごとなき◯◯風情が染み込んだ関西が有利そうな
「1」の笑いばっかりになっちゃったのかも?
僕はネタ番組をほとんど見ないので、実際はゼロの笑いは今も顕在で
少なくないのかもしれませんが、「M01」に血眼になってる芸人は
その芸を見なくても「1」のお笑いにカテゴリーして良いと思ってます。
あんな大規模な一大イベントにすら醒めて、横目で眺めてる方がなんだか
ゼロっぽいのでは?
関東のストリップは決して「観音様」を見せることはなかったが、
関西の奴らが来たらどんどん「御開帳」を始めやがった。
それを野暮だと嫌う武蔵野の風土も「0」と「1」にどこか繋がっている?
観音つながりで「浅草の観音様」も同じような仕掛け・戦略で成り立ってる
のかも知れませんね。
さらに突き詰めれば「仏教的0」VS「1神教」まで到達するのでは!?
と突然ですが、下記の見えにくい数行は、
ミッシーマの有名な小説の「ネタバレ」になります。お気をつけて
(勝手に読んでクレームつけるのはお門違いってやつですぞ、笑)
今でもバカだなあと思いますが、たいして読書家じゃない僕にとっては
【豊穣】すぎる、その小説を手にとって「こんな長編、読めねえよw」と
パラパラやってたんですが、いつの間にか無意識に「あの」ページを
読んじゃってました(笑)
なんとなくのあらすじは知ってた気がしますが、アソコを読んじゃったら
もうオシマイですよねw
有名なシーンらしいですね。
まっちゃんか紳助か知りませんが、あるお寺にたどり着きます。
そこにいたのが北野ブルー子でした。
似て非なるものってやつでしょうね(笑)
僕は現在使ってる「0 」「1」のやつを「ツクヨミコンピュータ」
量子ナントカを「スサノオコンピュータ」だと勝手に妄想してました。
それをスライドさせて東西ふたつのお笑いは、ツクヨミ的に集約できるの
かもしれませんが、近未来の量子的なスサノオチックな笑いが、
それはテレビじゃなくてそれ以外のメディアかもしれませんが、
どこかから新しく生まれてくるのかもしれませんね。
実は、円形にした1の中に、ゼロがメタモルフォーゼした「 ・ 」
あるいは、文字通りのゼロの中に、ゼロ次元での1という「 ・ 」
笑いの「0・1」を通じて、結果的に大本・日月の神のマークまで
たどり着きたかったですが、繋がる経路が見つかりませんでした(笑)
Dlifeが存在してた頃は、日本のテレビはほとんど見てなかったのになあ
(追記)