以前発表していた記事を2025/12/13 大幅改定して再アップ
(短くなって読みやすく?)
今回も懲りずにその発言のひとつをピックアップ
「人は亡くなって50日経つと」
内容からすると49日と呼ばれる「仏式」葬儀のひとつと同じような
話の流れでしたが、なぜか「50日」だったのが気になりました。
僕は知りませんでしたが「神式」では50日に仏式の49日と似たような
儀式をするらしいです。
「49日と50日 なんで1日違うんだろう?」から始まる今回の記事
ストーカーやってるにも関わらず(笑)彼の言葉を100%鵜呑みにできない
自分がいます。一部の発言には「嘘も方便」ってやつでしょうか?
そんなニュアンスも感じます。彼は完全否定していた仏教っぽい世界観
輪廻転生も「あるんだろうな~」となんとなく思い描いてしまいます。
そんなちっこい反旗?も含めつつ、1日のズレを妄想・曲解してみると
ほとんど全ての人間は49日で仏教っぽい輪廻転生のルートに入るのでは?
金井南龍独自の説・人間の死後に国常立尊がムシャムシャ食べてしまうと
いうのは、彼のいう魂じゃなくてその人間の前世の記憶とか諸々なのかも
しれない?という個人的勝手な仮説を立てさせてもらうと、
50日とはさっきの輪廻転生ルートには行かず、記憶やら諸々を保持できた
「49日をやり過ごせた魂」を表す言葉?
彼の描いた黒髪姫について書いた
(ふざけたタイトルでお恥ずかしい、申し訳ない・・・、笑)
この記事を使ってさらに話を進めていきます。その中で
山頂までの緑の道を踏み外せば、天空の「青」ではなく、底なし沼?の
スペクトルの「青」に沈んでしまうのかも知れない。
と書きました。
この「山頂までの道を踏み外して底なし沼」とは、仏教風な輪廻転生
49日路線のひとつの捉え方で、沼からすくい上げられるEQUAL
「新しい誕生?」その誕生に関与してるのが「黒髪姫 ≒ ククリヒメ?」
仏教チックな「輪廻転生」って本当に美しすぎる言葉ですが
●(神道家目線の?)南龍にとっては、せっかくの山頂からゴロゴロと
転げ落ちた、それが美しい輪とはとても思えない単なる「転落死」
国常立尊とは生から死へという登山を続けてきたほぼ全ての人間たちを
一番下まで突き落とすオソロシイ存在かもしれないし、神のその行為で
成される「輪 廻 転(落)生」させられたら、麓から?1から?またまた
「やりなおし?」それを避けられる生き方を南龍氏は目指していたのでは?
●南龍が国常立尊について「魔王であり神であり」と言ってたのは、
人生って山を登り切って面と向かうと、底まで突き落とす専業の?「魔王」
その横を通過して虹の橋で振り返れば、厳しくも慈愛に満ちた「神の背中」
「50日とはそういう意味だったのでは?」と曲解・妄想してみました。
気になって彼の著作を読み返してみたら「死んで49日経ったら」って
発言もしてたようです!?今まで必死こいて書いてきた自分がホント、
バカみたいですが(笑)1日ズレたふたつの発言の何らかの意味を信じて
今回のキーボードカチャカチャを終えたいと思います・・・
