ロシアンハゲっこプーを小馬鹿にしたい気持ちを抑えきれない自分がいる。
それをどうにかこうにか諸々をくぐり抜けて表現してみたいと思う。
小泉八雲の「果心居士」という作品がある。
彼は神官みたいな格好をしてるのに仏画を見せて仏教を説いていた。
実際の説話と違って、この話には「秀吉」「家康」は出てこない。
それらもじつは実は重要なファクターなのかもしれない。
三英傑で出てくるのは「信長」だけだけど、彼がゲットできたのは
「黄金壱百両ぽっきりの仏画だった」そして
「この物語のラストに出てくる」のは光秀だ。
千利休・天海僧正とEQUALと言われる伝説を持っている人物だけど、
これらのウワサが事実だとしたら(事実じゃないと思うけど)
それを広めた誰かさんは、三英傑を俯瞰した位置に光秀を置いた
ことになるのかもしれない。
(そしてなんの因果か王仁三郎のミヤコといってもいい亀岡大本は、
もともと光秀の城だった場所だ)
果心居士はそんな光秀の眼の前で屏風に描かれた絵の中に消えていく。
なぜだかわかんないけど、
「彼は、みずからの<美しい天皇>を伴ってあの世へと
「亡命(かけおち)」した
という誰かさんに対する誰かさんの言葉を思い出した。
これまでつらつらと書いてきたけど(消しちゃったけど)
雛形論と現在進行系2025の世界がリンクできるなら
「ロシアンハゲっこプー」は実は、ぐろーばる信長かもしれない。
「ぱぺっとまぺっとtrumpET」は、ぐろーばる秀吉かもしれない。
「大陸共産党の国家主Chair」は、ぐろーばる徳川将軍かもしれない。
と個人的勝手に妄想してきた。だけどその結果生まれた世界は
もしかしたら「亡命」に例えられる行為によって、
「(ぐろーばる?)果心居士」という何だかわからないものが
「欠けた世界」になっているのかもしれない。
永遠に補えないそのピースを埋めることを至上の目的として
明治維新は起こったのかもしれないし、雛形的にぐろーばる維新は
今後起きるのかもしれないという妄想の妄想もついでに、
「かもしれないかもかもしれない」だらけの駄文失礼(笑)
これを書いていたらJames F. ガメ・オベールさんが「国家という発明」
とツイートしてたのをなぜか思い出しました。
もうひとつ、魔方陣発掘が乗りに乗ってた時期、それは数年だったけど
年末の大掃除をさぼって、八雲の小説を読んでた自分も思い出しました。