2024/05/10

クラスメイトはスサノヲ(いつもながら大げさw)

ほんの数十人しか知らないはずの、誰かさんの想い出を
なんと天の岩戸まで結びつける、超スペクタルな妄想&思いつき!w

戦後すぐの話のようでした。
極東列島も食糧不足で大変だったそうですが、そんな時代でも少数の
「いいとこの子」は存在してたようで、クラスメイトはさつまいも1本
みたいなお弁当だったのに、その子だけがなかなかの豪華メニュー
まさに「子の心・親知らず」ですが、その子もなんとなく居心地悪そうに
給食の時間を過ごしていました。そんなある日、ひとりのわんぱくな子が
その豪華弁当をふんだくって、ムシャムシャ食い尽くしてしまったw
そんな光景を目撃してた、現在は老人だろうその方の優しい思い出話を
ネットで拝見しました。
その方はもちろんよほどの間抜けじゃない限り、ナニが起こったのか
言語化できなくてもクラスメイト全員が理解できたと思います。

今日、朝起きたら「これってスサノオじゃん!w」と思いつきました。

天人五衰って言葉もあるように、スサノオが来る前から見えない
「モヤモヤ」が(教室という名の)高天原に漂っていたのかもしれません。
スサノオが特異なのはそれを可視化させることができる唯一のタレント
(才能)を持っていたことなのでは?

自分の目で自分の顔が見えないように、一種の客観性によって
それが可能になったのでしょう。実は御神体が「八咫鏡」であることは
一種のネタバレで、自らの鏡像を客観としてただけで、逆ベクトルという
擬似的な客観しかそれまでの高天原には存在しなかった。
XだかYだかZだか知りませんが、結局は一本の軸上に神々が集う高天原に、
もうひとつの直交する軸をもたらしたのがスサノオだった。
その訪問によって高天原に新しい視点を生み出すことに成功したのでは?

スサノオの追放とは新しい軸(視点)を許容できなかった神々の総意で、
自分たちの軸(それが上下に伸びる軸だったんでしょう)
に押し込めて、自分たちの位置から最も遠くにある場所へ移動させた。
(ハイハイ、ここは高天原から最も遠いケガレチでございますよ!、笑)

「キリスト」とスサノオのニアリーイコールを唱える人がいますが、
そのシンボル「十字架」について、シュタイナーが見事な解釈を
なさってましたが、ひとつの軸しかなかった世界にもうひとつの
「NEW」をもたらした存在って意味も含まれているのでは?
とかなんとか宇宙で銀河でただひとり、妄想中(笑)
あのわんぱくな子はまさに「自己犠牲」によって、全てを救ったわけ
だった?(金井南龍の話じゃないですが「第三の男」が・・・)

アマテラスの岩戸開きをキリストの復活と重ねる(重ねようとする)
人たちも存在しますが、あれを一種の新陳代謝だと考えれば
スサノオがいたから実現できたわけですよね。
五衰をダラダラと惰性で過ごす可能性だってあったわけで。

「ねえねえお姉ちゃん、おでこに八咫烏のウンコついてるよ」
無邪気な弟のせいで八百万の前で恥をかかされてヒッキーに
(岩戸の中でニュービーズでウォッシュウォッシュ!)
というテキトーなまとめで終わります(笑)
現在の社会の息苦しさとは「客観性なんて害悪だ」
「鏡面の自分を、私という隣人を愛しなさい」ってことから
生まれているのでは?「推しブーム」からなぜだか漂ってくる
ナルシスト臭って、つまりそういうことだったりして。

こんなことを書いてますが「軸を増やすこと」が
何よりも大切だと僕は言いたいわけじゃないです。
神様のバッタモンたちが神やキリストをパクろうと
新しい軸を作ろうと悪あがきしてるせいで、
わけのわかんないなんだか無駄に思える奇怪文明が
無限に構築され続けてるようにも見えるからです。
ベタかもしれませんが、どうしてもそんな「お役目」がしたいなら
「優しさ」を持ってなかったら、それをする資格は無いんでしょう。
(すると今度は「優しさ」のバッタモンが現れる無限ループw)