「認知戦」ってモノがあるそうで、政治方面では小さくない問題に
なってるらしいですね。
そっちの方は適任の皆さんにお任せして、僕は自分の好きなエリアで
そのことを妄想してみたいと思います。
僕のセンサーで「ん?」と感じるのは、スピリ方面で妙にもてはやされてる
「りゅーじんブーム」が人工甘味料の味がしてくるようで、不自然さMAXで
若干の鬱陶しさを感じています。
ドラゴンの指の数は何種類かあるそうですが、その(厳密な?)ルールから
生まれる、若干心理学を経由させる、 上記の「認知戦」に思えてきたんです
よね・・・
その静かなる反撃としてなのか?近畿のどっかで最近「五本指」が宙を
舞うようになったそうですが、僕の身勝手なご都合主義で「少なくとも」
「コノ国では」「三本指で十分なのでは?」と妄想するのが今回の記事
ドラゴンを持ち上げる傾向を「ん?」と思うのは「まんが日本昔ばなし」
の影響がかなり大きいと思います。番組のOPタイトルであんなに悠然と
大空を舞うドラを、まるで制御するかのようにちっこい子供がその背中に
乗っていました。
いくら強大でも単なる乗り物をそんなに「崇め奉らなくても・・・」
そんな三つ子の魂が心の何処かに在るんでしょう(そもそもとりたてて)
(ご利益くれる印象が)(僕個人はドラに対して有りません、笑)
それからだいぶ経って、王仁三郎発言集みたいな本を読んでたら、
今ならルッキズム!と迫害されそうな「それなりに美しいドラ宮界」
「比にならないほどもっと美しい天人界(だったっけ?)」という
対比がありました。上下関係を差し障りないように「美」で表現した
「さすがの頭脳プレイだなあ」と感心したことを覚えています。
ドラの上に乗ってる仏像とか観たことあるし、岡本天明の絵画でもドラ騎乗
三貴子図があった気がします。王仁三郎の十和田湖の神秘でも、長い年月を
乗り越えるために南祖坊はそれに変化していましたが、それは急場しのぎの
とりあえずのメタモルフォーゼに僕には思えました。
(ドラには長時間を乗り越える乗り物って属性もあるのかもしれません)
この指の数をオリンピックにスライドさせてみました。
つまり日本サイドとしては、自国が「銅メダル」なのがモヤモヤする
最大唯一の理由だと思います。ネトウヨ界隈のご意見を代弁すれば
「なんでコイツラより!」みたいなことも のたまってそうです。
確かにドラゴンという「人気?競技」では銅メダルかもしれないけど、
別に悲観することはない。他にも銀メダル・金メダルをゲットできる
余地(他の競技)があるのでは?別にドラゴンがどんなに人気の
スポーツでも、得にその価値観(という認知戦?)に絶対に従う必然性
なんて、実は実は無いのでは?逆に「指の数戦」に乗っかることのほうが
かえって相手方の得意分野に引っ張り込まれることになる危険性も?
(それは実は日本サイドも「百も承知で?」とか言って、笑)
さっきの画像を描き換えて、縦軸ではなくて横軸にドラを設定すれば、
五本指 > 四本指 > 三本指とは正反対の「五本指 ≦ 四本指 ≦ 三本指」
という逆転の発想も描けます。その聖獣がどんなに尊い存在だとしても
「少なくとも日本では」「三本指で十分?」なぜなら聖なる「四本指」
さらに聖なる「五本指」が奥の奥に控えているのだから・・・?
ドラゴンクエスト(探求・追跡・追撃)の人が褒章を授与されたのも
偶然なんかじゃない!?聖なる予兆だったのですね・・・
(なんつって、笑)
自分がそこに住んでるのに一向に謎のまんまの不思議の国「じゃぱん」
未だに顕現せぬ「お家芸」がどこかのどこかに存在するのかいな?
それとも金メダル以上の、たとえば「プラチナメダル?」その上にある
かもしれぬ、マボロシの「ヒヒイロカネメダル」を目指せ!?
という、なんとも夢が広がりんぐな(笑)記事でございました。
そういえば北斎の最後の絵も富士から天に登る「三本指」でしたが、
以前の記事を思い起こせば、宇宙すら内包する漆黒の鵜は天から足を
伸ばして大地をがっちり掴む三本指です。
しかしその目はさらなる高み、尽きぬ上に視線を向けています。
この有限の地上(地球上)を統べようと必死こいてる聖獣国も同じく
基本、大気圏の内側のことしか興味なさそうな彼らも同じように、
「三本指で十分なんだよ」とはスライドできないのか?
黒い鵜の宇宙(四)も、さらなる上(五)にも「国境なんて無い!」
しょせん有限(三)な「地上の話!」とかなんとか、いつの間にか
聖爬虫類が聖鳥類に、なんともご都合主義なマトメになりました(笑)