2025/12/13

天の20 EQUAL 地の19(2021年を2025年に上書き)

前回の 49日葬儀社(50日神葬祭)も書き換えた記事でしたが、
その結果、2021/07/07に発表した記事のおかしさにも気づいたので
今回大幅に書き換えました。それではどうぞ

日月神示の一節です

百は九十九によって用き(はたらき)、
五十は四十九によって、二十は十九によって用くのであるぞ、
この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるぞ、
用きは地の現れ方であるぞ、
フトマニとは二十の珠であり、十九は常立であるぞ、
根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん、
十九年過ぎて二十年目であるぞ。
地上的考へ方で二十年を一まわりと考へてゐるが、
十九年で一廻りするのであるぞ、いろは姿見よ。

「根本の宮」とは伊勢神宮のことでしょうか?内容も式年遷宮について
話してるみたいです。図で表せばこんな感じになるのかな。
時間の長さ的には「緑10+黄色10=20年」だからそれで良いのでは
と思ったりしますが、それだと「式年遷宮」というものを「0ゼロ」と
見なしてることになります。
もしも1993年10月2日の遷宮「そのもの」を「1」と見なして、
次の年1994年10/2は「2」そのまま1年を経るごとに「3・4・5・・・」
と増えていけば、実際に遷宮の行われた2013年10/2は「21」になります。
もしご神示のいう「根本の宮は二十年毎に新しく」を成り立たせるには、
1年前の2012年10月2日に遷宮をすれば「20」になります。
そしてその際はさっきの緑と黄色の長さは「19」になります。
これをさきほどのご神示の解釈のひとつと考えることができるなら、
タイトルのように

(フトマニ)天の20 EQUAL 地の19(常立)

になるのでは?と考えました。
この解釈が正しいなら、フトマニ・常立は下記のように表現できる?


朱赤の部分は遷宮そのもの 黄色の部分は流れた時間を表しています。
遷宮の日(瞬間?)を重要視すれば、天のフトマニという「円」
その間に流れた時間を重要視すれば、地の常立という「立ち柱」
フトマニの方は20の珠ですが、最初の珠と最後と珠は違う日なのに
遷宮当日という意味では同じ日なので、円形で表現するのが最も
ふさわしいと思いました。
常立の方は19の珠ですが、切れ目なく流れる「時間の川」
そして常立という言葉から「まっすぐな柱」を連想したので
循環せず流れゆく・上下に立つ棒状で表してみました。

このブログでは筒を円状にしてトーラスを作ってみたり、
日月神示の謎の数字「二三三二二」もグルっと円状にしてみたり、
「マイ円状ブーム」ですが、これがなんとなく日月の解読法の
大きなポイントのような気がします。
「一二三四五六七八九十」のテッペンに「◯」も、
これに関係してるような?そんなことを思いつつ、星空を眺める
七夕の夜です。
(新暦だけど、それに曇ってるけど、笑)
と、七夕の夏に書いた記事を、ムダに寒い寒い冬に書き換えます。

49日葬儀社(50日神葬祭)

以前発表していた記事を2025/12/13 大幅改定して再アップ
(短くなって読みやすく?)

ほぼ「金井南龍ストーカー日記」と化してる我がブログですが(笑)
今回も懲りずにその発言のひとつをピックアップ

「人は亡くなって50日経つと」

内容からすると49日と呼ばれる「仏式」葬儀のひとつと同じような
話の流れでしたが、なぜか「50日」だったのが気になりました。
僕は知りませんでしたが「神式」では50日に仏式の49日と似たような
儀式をするらしいです。
「49日と50日 なんで1日違うんだろう?」から始まる今回の記事

ストーカーやってるにも関わらず(笑)彼の言葉を100%鵜呑みにできない
自分がいます。一部の発言には「嘘も方便」ってやつでしょうか?
そんなニュアンスも感じます。彼は完全否定していた仏教っぽい世界観
輪廻転生も「あるんだろうな~」となんとなく思い描いてしまいます。

そんなちっこい反旗?も含めつつ、1日のズレを妄想曲解してみると
ほとんど全ての人間は49日で仏教っぽい輪廻転生のルートに入るのでは?
金井南龍独自の説・人間の死後に国常立尊がムシャムシャ食べてしまうと
いうのは、彼のいう魂じゃなくてその人間の前世の記憶とか諸々なのかも
しれない?という個人的勝手な仮説を立てさせてもらうと、
50日とはさっきの輪廻転生ルートには行かず、記憶やら諸々を保持できた
「49日をやり過ごせた魂」を表す言葉?


彼の描いた黒髪姫について書いた
(ふざけたタイトルでお恥ずかしい、申し訳ない・・・、笑)
この記事を使ってさらに話を進めていきます。その中で

山頂までの緑の道を踏み外せば、天空の「青」ではなく、底なし沼?の
スペクトルの「青」に沈んでしまうのかも知れない。

と書きました。
この「山頂までの道を踏み外して底なし沼」とは、仏教風な輪廻転生
49日路線のひとつの捉え方で、沼からすくい上げられるEQUAL
「新しい誕生?」その誕生に関与してるのが「黒髪姫 ≒ ククリヒメ?」

仏教チックな「廻転生」って本当に美しすぎる言葉ですが
●(神道家目線の?)南龍にとっては、せっかくの山頂からゴロゴロと
転げ落ちた、それが美しい輪とはとても思えない単なる「転落死」
国常立尊とは生から死へという登山を続けてきたほぼ全ての人間たちを
一番下まで突き落とすオソロシイ存在かもしれないし、神のその行為で
成される「輪 廻 転(落)生」させられたら、麓から?1から?またまた
「やりなおし?」それを避けられる生き方を南龍氏は目指していたのでは?
●南龍が国常立尊について「魔王であり神であり」と言ってたのは、
人生って山を登り切って面と向かうと、底まで突き落とす専業の?「魔王」 
その横を通過して虹の橋で振り返れば、厳しくも慈愛に満ちた「神の背中」

「50日とはそういう意味だったのでは?」と曲解・妄想してみました。
気になって彼の著作を読み返してみたら「死んで49日経ったら」って
発言もしてたようです!?今まで必死こいて書いてきた自分がホント、
バカみたいですが(笑)1日ズレたふたつの発言の何らかの意味を信じて
今回のキーボードカチャカチャを終えたいと思います・・・

2025/12/12

9SA・10SA(思いついた本人が困惑、笑)

なぜか唐突に

9SA(きゅーえすえー) 10SA(じゅーえすえー

って言葉が思い浮かんだ。
なんなんだこれは?(思いついた自分が理解できない、笑)

Kゅーえすえー」「Jゅーえすえー」

韓国っぽい「K」
日本っぽい「J」なのも面白いと思った。
だけどそれでこの造語が理解できたわけじゃない。



「面妖とかいう言葉なんて知りません」
(どーせ古い人間が使う言葉でしょ、笑)
というツイートが話題になってたみたいだけど、
これが英単語だったら裏ではグチグチ言いながらも、
表面的には「古い単語w」と小馬鹿にはできないんだろうなあ。

僕の妄想宇宙では、インターネットとは白山菊理姫の
「御眷属に統べられた世界」なんだけど、
そこでは英字>漢字なのかもしれない?なんて思えてくる。

金井南龍によれば縄文時代や北朝鮮世界はEQUAL「ククリヒメの御代」
らしいけど、James F. ガメ・オベールさんのツイートにある
「The Authoritarian Stack(オーソリタリアン・スタック)」も
ネットなどの先端技術ゴテゴテに支えられてるとするのなら
ククリヒメの眷属が裏で糸を引いてるってことになるのだろうか?
あの大統領の支持をなぜかやめられないアメリカ人
戦いたくない戦争をなぜかやめられないロシア人 
彼らも金蜘蛛の糸に絡まってるだけ?ってネタバレだったら
なんだか笑える(嘲笑っちゃダメだけど)

その最先端の、世界じゅうの行き着く先は「縄文USA」「北朝鮮USA」?

不思議な平和しかない、だけどなんとなくつまんなそうな世界?(笑)

2025/12/01

\(^o^)/思いっきり調子に乗ってみよー\(国際政治と私)/

思いっきり調子に乗って、国際政治を上から目線で眺めてみよー\(^o^)/
ロシアンハゲっこプーチを小馬鹿にしたい気持ちを抑えきれない「私」
平々凡々人がどうにかこうにか諸々をくぐり抜けて表現してみたいと思う。

小泉八雲に「果心居士」という作品がある。
彼は神官みたいな格好をしてるのに仏画を見せて仏教を説いていた。
実際の伝承とは違って、この話には「秀吉」「家康」は出てこない。
(実はそれらも重要なファクターなのかもしれない)

三英傑で出てくるのは「信長」だけだけど、がゲットできたのは
「黄金壱百両ぽっきりの仏画だった」そして
「この物語のラストに出てくるのは」光秀だ。
千利休・天海僧正とEQUALと言われる伝説を持っている人物だけど、
これらのウワサが事実だとしたら(事実じゃないと思うけど)
それらを広めた誰かさんは三英傑を俯瞰した位置に光秀を置いた、
今流行りの言葉だとマウンティングを発生させようとしたのかも
しれない。
(なんの因果か王仁三郎のミヤコといってもいい亀岡大本は、
もともと光秀の城だった場所だ)
(王仁三郎が「三英傑は全部自分」って発言してて「?」だったけど
この「マウンティング」と、どこか通じてるのでは?)

果心居士はそんな光秀の眼の前で屏風に描かれた絵の中に消えていく。
なぜだかわかんないけど、僕は未読の本に書いてあったらしい
「みずからの<美しい天皇>を伴ってあの世へと「亡命(かけおち)」した
という誰かさんに対する言葉を思い出した。

自分のブログでつらつらと書いてきたけど(消しちゃったけど)
雛形論と現在進行系2025の世界がリンクできるなら
「ロシアンハゲっこプ~チ」は、ぐろーばる信長かもしれない。
「ぱぺっとまぺっとtrumpET」は、ぐろーばる秀吉かもしれない。
「大陸共産党の国家Chairman」は、ぐろーばる徳川将軍かもしれない。
と個人的勝手に妄想してきた。だけどその結果生まれた世界は
もしかしたら「亡命」に例えられる行為によって、
「(ぐろーばる?)果心居士」という、それが何だかわからないけど
ある「不可思議」が「欠けた」世界になっているのかもしれない。

永遠に補えないそのピースを埋めることを至上の目的として
明治維新は起こったのかもしれないし、雛形的にぐろーばる維新は
今後起きるのかもしれないという妄想の妄想もついでに、

さらに余計なついでのついでだけど、こんにちの伝承とは違って
リアル家康は果心居士に会ったこと、無かったのかもしれない?
そもそも家康は彼のような不可思議に興味なかったのかもしれないし、
だからこそ成功した(そして終わった)お江戸の幕府だったのかも
しれない?
おそらく優秀なブレーンが(この物語に何か重要な何かを感じて?)
大御所さまと、このナゾの不思議な幻術師をリンクさせる説話を
意図的に広めたんでしょう(かもしれない)

「かもしれないかもかもしれない」だらけの駄文失礼
はげっこプ~チひとりをディスるためのこんなに長い長い文章でしたが、
当初の目的を越えて、話は面白い方に進んでいった?かもしれない(笑)
これを書いていたらJames F. ガメ・オベールさんが「国家という発明」
とツイートしてたのをなぜか思い出しました。
もうひとつ、魔方陣発掘が乗りに乗ってた時期、それは数年だったけど
年末の大掃除をさぼって八雲の小説を読んでた自分の姿も思い出しました。

2025/11/29

ダブルアプローチ(ミロクへの?)

なんとな~く感じたこと
僕はアマテラスを色霊 ツクヨミを数霊 スサノオを言霊に
スライドできるのでは?を知ったかぶりなことを発表した。

上記の思いつきをそのままスライドさせて
ミロクってものに対するアプローチを成り立たせれば
それをツクヨミ的に成した(成し遂げた)のが王仁三郎だったとすれば
それをスサノオ的に成すことは出来ないのか?と藻掻いたのが金井南龍
だったのでは?

なぜかふたつの画像を思いついたので貼っておく
で発表した画像

上記の魔方陣ブログの最初の記事に貼った画像
「TAISHI & MORIYA」

2025/11/24

短絡的に「0」を「◯」に(ひじょーにたんらくてき、笑)

          
          一
          二
          三

ゼロの位置にあるんだから「◯」じゃなくて「0」でも
良さそうなものだが、なぜか「まんまる」

そこで私はなぜか思った。
なんでゼロは縦長の「0」なんだろう?
そんな理由、わかるわけないけど個人的勝手な妄想で、
「目」が横長だからそれのコントラスト・バランス取るために
    縦長なのかいな?
本当にマヌケな思いつきというか、強引な辻褄合わせというか
そんな風に思った。

第三の目ってモノがあって、それは額あたりにあるらしい。
そんなの付いてる人間を僕は見たことないけど、仏像とかで
美しく表現されてるのは見たことある。
左上にある褐色の三目観音は第三の目が縦長になってる。
美しいお姿だけどさっきの話を短絡的にスライドさせれば、
この目が見るゼロは「横長」なのかもしれない。

笑っちゃうほど「短絡的 ✕ 短絡的」な妄想しても良いのなら
「通常の目 ✕ 第三の目」で見るゼロは EQUAL「◯」
まんまるにならないのかな?
ならないのでしょう(笑)

     ↓ コイツ笑ろてるで(笑)↓

2025/11/23

アベノねとうよ政治家を卑怯だと思う人~ (^o^)/ ハ~イ

「右派は過去に引きこもり 左派は未来に丸投げ」

面白いコトワザだと思う。僕が考えた^^

安倍ちゃんを現人神と崇める公人・私人たちを見て
「こいつら卑怯だなあ」と思うのは、
彼らのタイムマシーンが向かう時空が20世紀の戦争の世紀
じゃなくて、さらに歴史を遡った戦国時代、でもなくて、
戦争も無いのに不思議な特権階級に武士たちが座していた
「江戸時代」しか目指してない気がするからだ。

「無能でもその位置にいればイバれるんだもん」
「結局、あなたたちって威張りたいだけだよね?」

彼らのホンネはそれ以外あるのかいな。僕には見当たらない。
基本目立ちたがりのチヤホヤされたいであろうタレント風情が、
政治のトップになったことはそれをギンギラギンに証明してるのでは、
と思う。