2025/11/24

短絡的に「0」を「◯」に(ひじょーにたんらくてき、笑)

          
          一
          二
          三

ゼロの位置にあるんだから「◯」じゃなくて「0」でも
良さそうなものだが、なぜか「まんまる」

そこで私はなぜか思った。
なんでゼロは縦長の「0」なんだろう?
そんな理由、わかるわけないけど個人的勝手な妄想で、
「目」が横長だからそれのコントラスト・バランス取るために
    縦長なのかいな?
本当にマヌケな思いつきというか、強引な辻褄合わせというか
そんな風に思った。

第三の目ってモノがあって、それは額あたりにあるらしい。
そんなの付いてる人間を僕は見たことないけど、仏像とかで
美しく表現されてるのは見たことある。
左上にある褐色の三目観音は第三の目が縦長になってる。
美しいお姿だけどさっきの話を短絡的にスライドさせれば、
この目が見るゼロは「横長」なのかもしれない。

笑っちゃうほど「短絡的 ✕ 短絡的」な妄想しても良いのなら
「通常の目 ✕ 第三の目」で見るゼロは EQUAL「◯」
まんまるにならないのかな?
ならないのでしょう(笑)

     ↓ コイツ笑ろてるで(笑)↓

2025/11/23

アベノねとうよ政治家を卑怯だと思う人~ (^o^)/ ハ~イ

「右派は過去に引きこもり 左派は未来に丸投げ」

面白いコトワザだと思う。僕が考えた^^

安倍ちゃんを現人神と崇める公人・私人たちを見て
「こいつら卑怯だなあ」と思うのは、
彼らのタイムマシーンが向かう時空が20世紀の戦争の世紀
じゃなくて、さらに歴史を遡った戦国時代でもなくて、
戦争も無いのに不思議な特権階級に武士たちが座していた
「江戸時代」しか目指してない気がするからだ。

「無能でもその位置にいればイバれるんだもん」
「結局、あなたたちって威張りたいだけだよね?」

彼らのホンネはそれ以外あるのかいな。僕には見当たらない。
基本目立ちたがりのタレント風情が、政治のトップになったことは
それをギンギラギンに証明してるのでは、と思う。

2025/11/22

お笑いHAKUSUKINOE(カラー数字図形版)


「赤と白」「漢数字とアラビア数字」が戦ってみたのが、
お笑いHAKUSUKINOEだったのかいな?って記事になる。

倭国「0」のカラーリングはイマイチ確信持てないけど
グラデーションは感じる。もっと下まで赤が伸びてるのかも。
それ以外は現実そのまんまなんでしょう。
ほとんど興味ないのでウィキとかチラ見しただけ。

この倭国「1」と倭国「0」が、なんと現在まで尾を引いて
なんとまさかの関東関西のお笑い(事務所)にまで、
「その影響は残留してるのかも!?」と以前の記事に書いた。

とかなんとか言っても結局、関西&関東の内輪もめで 僕の住んでる
森はもちろん、他の多くの日本にとっては別に関係ないっちゃ関係ない
(笑)

2025/11/17

聖なるかな(リボン)りぼーん & めびうす?

ファッションに興味ないし、かわいい女の子でもないので
リボンは持ってない。細長い1次元に見えて実は縦横の2次元のアレ
ひとつも持ってないのに、僕はこれがチラチラと気になって仕方ない。
じつは実は面白い存在なのでは?という今回の記事

リボンには二種類の「聖なる」使い方がある。

ひとつは神社なんかにあるぶら下がってる白くて複雑に折られたリボン
「紙垂」と呼ばれるそれは実際はそれなりの縦横のある長方形を切って、
まるで細いリボンのように見せてるらしい。

もうひとつは岩木山神社のお山参詣で「サイギサイギ」と振られる御幣に
ついてる薄い木で出来てるリボン ささいなことかもしれないけど
表裏がかなりはっきりしてる紙垂とは違って、サラサラ流れるように
オモテもウラもそのどっちでもない状態もあり、誰も支配できない感じで
クルクルと入れ替わってる。
そういえば「メビウスの輪」もリボンだけど、
今回の「ふたつ」もその不可思議な状態を表してる・その前段階の?
「メビウスのリボン」なのかもしれないぞ?

ふたつは短絡的に「縄文」「弥生」と分けられるのかもしれないけど
僕ちゃんはいつも通り(聖なる)どっちつかずに位置してみたいものだ。

これらの「リボン状のモノ」の本質をつかまえれば、把握できれば
この国神道のかなりの「大まか」もつかまえられるのかも?
といつもながら大げさ(笑)

2025/11/13

認知戦QUEST(三本指で十分の話)

「認知戦」ってモノがあるそうで、政治方面では小さくない問題に
なってるらしいですね。
そっちの方は適任の皆さんにお任せして、僕は自分の好きなエリアで
そのことを妄想してみたいと思います。

僕のセンサーで「ん?」と感じるのは、スピリ方面で妙にもてはやされてる
「りゅーじんブーム」が人工甘味料の味がしてくるようで、不自然さMAXで
若干の鬱陶しさを感じています。
ドラゴンの指の数は何種類かあるそうですが、その(厳密な?)ルールから
生まれる、若干心理学を経由させる、 上記の「認知戦」に思えてきたんです
よね・・・

その静かなる反撃としてなのか?近畿のどっかで最近「五本指」が宙を
舞うようになったそうですが、僕の身勝手なご都合主義で「少なくとも」
「コノ国では」「三本指で十分なのでは?」と妄想するのが今回の記事

ドラゴンを持ち上げる傾向を「ん?」と思うのは「まんが日本昔ばなし」
の影響がかなり大きいと思います。番組のOPタイトルであんなに悠然と
大空を舞うドラを、まるで制御するかのようにちっこい子供がその背中に
乗っていました。
いくら強大でも単なる乗り物をそんなに「崇め奉らなくても・・・」
そんな三つ子の魂が心の何処かに在るんでしょう(そもそもとりたてて)
(ご利益くれる印象が)(僕個人はドラに対して有りません、笑)

それからだいぶ経って、王仁三郎発言集みたいな本を読んでたら、
今ならルッキズム!と迫害されそうな「それなりに美しいドラ宮界」
「比にならないほどもっと美しい天人界(だったっけ?)」という
対比がありました。上下関係を差し障りないように「美」で表現した
「さすがの頭脳プレイだなあ」と感心したことを覚えています。

ドラの上に乗ってる仏像とか観たことあるし、岡本天明の絵画でもドラ騎乗
三貴子図があった気がします。王仁三郎の十和田湖の神秘でも、長い年月を
乗り越えるために南祖坊はそれに変化していましたが、それは急場しのぎの
とりあえずのメタモルフォーゼに僕には思えました。
(ドラには長時間を乗り越える乗り物って属性もあるのかもしれません)


この指の数をオリンピックにスライドさせてみました。
つまり日本サイドとしては、自国が「銅メダル」なのがモヤモヤする
最大唯一の理由だと思います。ネトウヨ界隈のご意見を代弁すれば
「なんでコイツラより!」みたいなことも のたまってそうです。

確かにドラゴンという「人気?競技」では銅メダルかもしれないけど、
別に悲観することはない。他にも銀メダル・金メダルをゲットできる
余地(他の競技)があるのでは?別にドラゴンがどんなに人気の
スポーツでも、得にその価値観(という認知戦?)に絶対に従う必然性
なんて、実は実は無いのでは?逆に「指の数」に乗っかることのほうが
かえって相手方の得意分野に引っ張り込まれることになる危険性も?
(それは実は日本サイドも「百も承知で?」とか言って、笑)


さっきの画像を描き換えて、縦軸ではなくて横軸にドラを設定すれば、
五本指 > 四本指 > 三本指とは正反対の「五本指 ≦ 四本指 ≦ 三本指」
という逆転の発想も描けます。その聖獣がどんなに尊い存在だとしても
「少なくとも日本では」「三本指で十分?」なぜなら聖なる「四本指」
さらに聖なる「五本指」が奥の奥に控えているのだから・・・?
ドラゴンクエスト(探求・追跡・追撃の人が褒章を授与されたのも
偶然なんかじゃない!?聖なる予兆だったのですね・・・
(なんつって、笑)

自分がそこに住んでるのに一向に謎のまんまの不思議の国「じゃぱん」
未だに顕現せぬ「お家芸」がどこかのどこかに存在するのかいな?
それとも金メダル以上の、たとえば「プラチナメダル?」その上にある
かもしれぬ、マボロシの「ヒヒイロカネメダル」を目指せ!?
という、なんとも夢が広がりんぐな(笑)記事でございました。

そういえば北斎の最後の絵も富士から天に登る「三本指」でしたが、
以前の記事を思い起こせば、宇宙すら内包する漆黒の鵜は天から足を
伸ばして大地をがっちり掴む三本指です。
しかしその目はさらなる高み、尽きぬ上に視線を向けています。
この有限の地上(地球上)を統べようと必死こいてる聖獣国も同じく
基本、大気圏の内側のことしか興味なさそうな彼らも同じように、
「三本指で十分なんだよ」とはスライドできないのか?

黒い鵜の宇宙(四)も、さらなる上(五)にも「国境なんて無い!」
しょせん有限(三)な「地上の話!」とかなんとか、いつの間にか
聖爬虫類が聖鳥類に、なんともご都合主義なマトメになりました(笑)

2025/11/11

AKINDOWS(なぜ?)ビビってる!ヘイヘイヘイ!!

https://www.youtube.com/ のサムネイルになぜか表示された
【ゆっくり解説】0を0で割ったら予想外の結果に!数学の不思議


というページ
前の日にtrumpETの御意向で下品にキンキラキンに飾られた
シン・ホワイトハウスを見たせいかもしれないけど、
なんでアキンド連たちはあんなに飽食な商売を止められないのか、
この動画を見たら理解(妄想)できる気がした。

この動画ではタイトルのように「0を0で割っている」
机とお皿の例えはとても解りやすかったし、0 ÷ 0の答えは
0でも1でも2でも・・・考え方によっては無限の解答があるというのが
面白いと思った。

最後にこんな数式が我々の生活にも無関係じゃなくて、コンピュータの
プログラミングにも小さくない影響を与えているという話で〆られていた。
アマゾン的な大手サイトならともかく、ネット通販のお客がひとりふたり
下手すると1日に1人も来ない(つまり「ゼロ」)の「零」細サイトでは
プログラミングの世界では重大なバグを引き起こすことになるので、
だからそのために分母が「0」にならないようなシステムづくりが・・・
このラストを聞いていたら、あの図々しい(笑)強欲一辺倒なアキンド連の
意外な恐怖心が数値化されているように見えた。
おそらく唯物主義者に分類されそうな彼ら自身が、まさかのまさかの話で
自分たち自身が存在しない「ゼロである」と骨の髄まで理解している?
あるいはその恐怖に支配されてるのでは?なんて思えてきたからだ。

零細サイトになればなるほど、その自分 EQUAL「ゼロ」が骨身にしみて
直視したくない現実として眼の前に表れてくる。その痛み・恐怖を回避する
には、たとえばアマゾン・ヨド・楽天みたいな数え切れない取引 EQUAL
ゼロからできるだけ遠い数値に・位置に自分たちを置く必要がある?
あのAKINDOWS大統領も同じく、自分というゼロを直視したくないために、
数え切れないあの下品丸出しの一見高そうな(実は中抜きで安価?、笑)
あれらの装飾品で自分の周囲を城壁のように結界してるのでは?

という今回の記事(結論)でした。
仏教的視点だと「空」とか「無」とか、ゼロであることを受け入れましょう
みたいな世界観だけど、数字扱いがプロである、商売の才能がある人々には
そんな貧乏くさいお説教は届かないんだろう(平々凡々の僕にも?、笑)

そういうゼロ/ゼロ目線で日月神示とアキンドたちを相対性理論させるのも
面白いと思う。今まで存在しなかったゼロというか「◯」が表れた世界
それはゼロから逃れようと足掻く彼ら 孫悟空たち & お釈迦さまの話に
スライドできるのかもしれない?

◯の中の「・」はその後に降臨するらしいよね。

2025/10/31

(◯)インターネット・PC世紀のカタチ(・)


日月神示はほぼ真っ白な紙(和紙?)に、ほぼ真っ黒な墨で
記されてるはずだ。

それをインターネット・PCの世紀を鑑みて
個人的勝手に新しい表現で思い描いてみた。