それに呼応できそうな妄想を21世紀の令和に書けたらいいな。
芸術音痴の僕がこの絵(版画?)に興味を持ったのは、
広大すぎる「宇宙」が描かれてるように観えたからだ。
(鵜の黒い部分です)
もし仮にこの鵜を宇宙と見立てると、ふたつ面白い発見がある。
まず「なんだか足が変だな?」と思っていた。
他の部分に比べると別のテイストを感じたからだ。
どういう経緯だったか忘れたけど、最近「イシュタル」の像を観た。
古代メソポタミア地方において広く信仰された、愛と美の女神らしいけど
この女神の御御足が、北斎の鵜の足と同じものに見えちゃった?
「強調」のされ方が同じに見えたのか、なぜかEQUALを感じてしまった。
実は宇宙と大地(地球)は、それぞれ根本が3本に分かれた2本柱で
結ばれている?若干、秘教的な風味すら感じる「ネタバレ」だったら
面白いんだけどなあ。
「関わらず」それに満足していないのか、まるで「上」を見上げている
ように見えることだ。
これも北斎の絶筆とされる「富士越龍図」の「上」とつながる?
あるいはEQUALの「上」?
さらに更に大きな宇宙を<<< 反対ベクトルのマトリョーシカみたいな
目眩< CGがハリウッド映画では時々描かれている。
北斎は同じものをさりげなく何気なく描いてみせたのかもしれぬ?
さらに彼はイシュタルの存在・像を何かで見て知ってたわけじゃないのに、
「なぜか描けちゃった?」
だから金井南龍おっちゃんは神様方向から眺めて「北斎は凄い」って
見抜いていたのでは?
という今回の記事でした(できれば妄想を超えてますように<<<、笑)