あんなに強く否定してたのか?そのひとつの理由として、
「仏じゃなくて神を目指すため」という記事を発表したけど、
それ以外にも重い理由があったのでは?という記事
その南龍氏と本を出したり、大本教とも関係浅からぬ稀有な方
(大阪のおっちゃん)がいらっしゃるけど、その方のツイートをチラッと
拝見したことがあった。保存したつもりだったけど見つからなかったので
記憶を頼りに記してみると、
やすくにの本殿の後ろにある建物があって、英霊の名簿が保管してある。
その名簿は定期的に新しく書き改められるらしいけど、筆で書いてると
滑らかに名前を記せる英霊と、筆がつっかえてスムーズに書けない英霊
2種類あるって書いたあった(気がする)
ここからは武田氏の考えか、僕の妄想だったか忘れたけど
やすくにという安住の地を得て神として祀られて、だらしないメタボ体型の
ネトウヨにもおだてられて「こういう余生もいいかもな」と思う兵隊さんも
当然たくさんいたはずだけど、「しちしょうほうこく」という四文字漢字が
どうしても忘れられない、実現したい人も少なからずいた?
そんなふたつの種類に見えてきた。
僕は霊感ゼロ感なので全てを妄想するしかないけど、
この「名簿」と「七度生まれ変わっても」って両立するのかいな?
なんて妄想してしまった。東京に来たおっ母さんが参拝したあの場所が、
永遠に放水されない霊魂の「ダム」に見えてきたからだ。
名簿の書き改めがまるでダムの側面を補強する工事に見えてきませんか?
と思ってしまったわけだ。
さらにマジカル方面に傾けば、あの場所は見えない「近衛兵」を大量配備
(というか備蓄?)することで生まれる「結界」のマジカルを期待した、
極々プライベートな目的のための術の施設?という、まさかの可能性は
ゼロなのだろうか・・・?
「七度どころか、すでに転生を禁じられた自分たち」(なのかもしれない)
そんな声が聞こえた(かもしれない)「英霊の聲・金井南龍バージョン」が
もしも万が一存在するとしたら、それを押し付けられた英霊のみならず、
全ての人間の輪廻転生を「否定」したくなる気持ちになったりはしないの
だろうか?(同期の桜として)
・・・とか書いてみても、辻褄の合わない妄想話になっちゃうのだろう。
四文字漢字という言霊ジックが存在してると思ってる人間だけど、
維新以降の日本を最も強く縛ってるのは「ふこくきょーへー」なのでは?
そんな「マジカル」の気配を感じている。
その一端として、戦争が長引いて長引いてギリギリまで追い詰められれば
追い詰められるほど、その後のふこくという果実は「たっぷり収穫できる」
なんて冷静クールな視線を感じるんだけど、それは僕が冷血な人間だから
なんだろう。
一昔二昔まえのビート芸人のよく言ってた振り子理論だけど、その振り子は
戦後だけじゃなくて戦前戦中から規則正しく、人間の想いと関係ない場所で
機械的に、幸不幸の左右に揺れていたのでは?
(どうでもいい発見だけど、ふこくとふこう FUKOKU&FUKOU)
(英字でも漢字でも1文字違いなんだな。おもろい偶然)