2025/06/20

さっきのPartⅡ(◯界物語をパロる)

前回のラストに続けても良かったんですが、あまりに長くなりそうなので
分けました。といっても文章自体はそれほど長くない・・・(予定、笑)

「PartⅢで止めときゃ良かったのに・・・」
世界中の人がコソコソ話してそうなのが「Toy・Story」という映画です。
ラストの大大ピンチを救ったのが「コイツラかよ!w」と驚きつつも
痛快だったⅢの名シーンもありましたよね。なんとそこから始まるのが
今回の記事です。

この救出劇は伏線回収とはちょっと違いますが、彼らの初登場の場面の
パロディでした。
しかし妄想セレブの僕にはもうひとつ別のパロディが浮かんできました。

前回の「鶴」をEQUAL「クレーン(ゲーム)」としてパロってるみたいに
見えてきたからです。

ディズニーのクリエイターが無意識に何かを掴んじゃったのか?
良い意味での秘教的な存在からのサジェスチョンがあったのか?
今回も僕の妄想脳は暴走気味ですが(笑)前回の記事を思い出しつつ
この映画を振り返ると、王仁三郎的世界観では目指すべき地点である
もしかすると日月神示的には「二」である存在を、大量生産・イマイチの
日月の「三」が救ったってことにならないだろうか?それも自分たちを
「回収」するためのマシーンを自らが操作して・・・?というスライドが、
妄想過多なおっさんには見えてしまいました・・・

これを意識的に作ったとすれば、「悪意」ある表現作品みたいですが、
僕はディズニーを悪者にする気はありません。天と地ほどの相対関係に
見える「二」と「三」なのに、実はお互い持ちつ持たれつで片方によって
片方も存在できてるという「リアル」をあっけらかんと、多少のニヒルも
含めつつ表現していた世界的大ヒットだったのでは?
もしかすると「一」に相当する?アンディのことしか頭にない「二」も、
そんな「二」には認識できず、哀れな大量生産の彼ら「三」だけ発していた
「カミサマー」ってかわいい叫びも、これらは単なる娯楽のための表現では
無くて、何らかの「ほんとう」だったのでは?
そんなオカシナ妄想しちゃった、というMy・Storyでございました。

もしかしてパロディというよりは乾いた笑い混じりのネタバレだったとか?

GOKAN不満足(神さまの一表現)

たぶん霊界物語は1/5も読んでないのに
 第十五巻(寅の巻)第二〇章「五十世紀」という一説
そこに出てくる50世紀になった時の人類の話はちょくちょく
ここでも取り上げてる。

天国(高天原?)に遊びに来てる二種類の人類が出てくるんだけど、
2尺(約60センチ)の身長が一人前とされる人類がたくさん存在してる
らしい。そんな彼らを

鶴が出て来て、高い処へ持って上がる

と書かれてある。人類がどこか高い場所に連れ去られる描写らしいけど、
これを読んで「なんか(監視)カメラを回収してるみたいだなw」と
妄想セレブの僕はなぜか思った。

実際、このタイプの人類はEQUAL「カメラ」なのでは?
それは「視覚」だけじゃなくて「聴覚」を使って音も
「触覚」で何かを触った感触 「味覚」も舌を使って
「臭覚」も鼻を使って それら五感の「情報」を肥大した脳に蓄えている?
鶴が(神の元へ)連れ去るのは、神が必要としてるのは人類というよりは
五感情報が記憶されたSDカードやUSBメモリみたいなメディア・記憶媒体

EQUAL脳みそだけ?

記事のタイトルは1998年に出版されたベストセラーをもじったものですが
おちょくってるわけじゃなくて、神さまって5つの感覚が不自由なのでは?
という仮説(妄想)を表すためです。
「見えず」「聞こえず」「触った感覚も無く」「味もしない」「嗅げない」
万物を創造した存在のはずが五感は不満足 不満足というか正確にいえば
それらの機能は「人類に任せてるのでは?」

現時点ではYouTubeは視覚・聴覚だけですが、止まらない技術革新の結果、
五感全部を堪能できる未来が待ってるのかもしれません。
神という存在はYouTubeにアクセスしなくても鶴が回収してくれるので、
ほぼ全ての人類という端末を使って、地球中の五感情報を五十世紀には
(実は原始から今までずっと?)堪能してるかもしれない?
そんなワンシーンを霊界物語のあの部分は表現してるのかいな?
という今回の記事(妄想)でございました。



YouTubeを見てると、あまりにショッキングな映像を捉えた時
「マジかよ・・・」「オーマイガ・・・」みたいなYouTuberの
「心」の声が入ってることがあります。記憶媒体としてはムダな音が
混入しない方が優秀ですが、思わずクチから「漏れちゃった」のは
人間の反応としてはおかしくないでしょう。

「五十世紀」の世界では

六尺(約1.8メートル)以上の体躯を保ち

もう一種類の人類が出てきますが、先程までの妄想に接続できるなら
彼らもう一種類はさっきのチューバーのように「感情・こころ・精神」を
神さまに提供する端末なのでは?
喜怒哀楽に代表される、それ以外にもあれやこれやフクザツな感情を
表面には出さないとしても内面の奥底に隠してるのが人間ってヤツです。
神さまは感情こころ精神が不満足、不満足というか正確にいえば
それらの機能も、五感の記憶メディアに比べたら圧倒的に少数の
「人類に任せてるのでは?」

毎度毎度の妄想の積み重ね、お恥ずかしい話ですがお許しを(笑)

聖子ちゃん明菜ちゃんの片方を選んでしまった僕だから
王仁三郎より金井南龍に惹かれてしまうのかもしれません。
どこか反逆者チックな彼は「一世紀に6、7人」という価値観を
提唱していたそうです。
そんなふたりの聖人を日月神示にスライドさせることが出来るのなら、

「三」かなり大勢
「二」圧倒的に少ないが「6、7人」よりはかなり多そう

「一」にあたる微粒子みたいな人は、その「魂」を神に提供するのでは?
「一」が存在することで初めて「◯」までたどり着ける(生まれいづる?)
そうしてようやく神がこちらを地球人類を、単なる情報=「◯」じゃなくて
ほんとうの意味で理解というか認識できた状態が

「⦿」丸の中に点とか?

2025/06/13

最も有名な浮世絵になるのかいな?(フジ&トの図)

確か立ち読みした雑誌「ムー」の記事だったと思うけど、
伊豆諸島の利島の不思議について載ってた記憶がある。
内容は忘れちゃったけど、なぜか覚えてる。

北斎大先生の代表作「神奈川沖なんとか」を観てたら、
手前の波のモッコリが山に見えてきた。そしてそれは「陸の富士山」
とのコントラストで「海の富士山なのかな?」と思えてきた。
さらにこれって不思議な不思議な「利島なのでは?」まで行き着いた
妄想セレブなのでした。

「フジ(二二)& ト(十)」
日月神示みたいで縁起も?よろしいどすなあ(笑)

金井南龍氏によると、海洋民は八合目よりも上の九・十合目の太陽神を
信仰してたらしいですが、この図は遠近法の結果、海の富士山のほうが
高く大きく描かれています。
さらにデカいのが回転しつつ雪崩れてく(松本隆の歌詞みたいだな、笑)
「大波」ですけど、こっちも何かあるのかもしれません。
妄想すら書けない素人さん立入禁止の「シークレット」があったりして?
海洋の信仰(神)はコワイらしいって南龍氏も言ってたし・・・

ここでついでに富士について
「北斎がいつも描く幾何学型の富士山」って文章をなにかのキッカケで
知ったんですが、それが正しいのなら写実的に描かなかった理由は、
富士山=矢印という記号として捉えていたから?
現実の富士山にもあるし沢山の山にもある「頂上まで1km」などの
文字と一緒に「矢印」のマークはあちこちにあるはずです。
大切な情報だけどあくまで記号なら、富士は幾何学系になったり・・・
しないのかな?よくわからん(笑)

北斎にとって大切だったのは、富士という矢印よりそれが指し示す
方向だったのでは?
それが遺作とされる富士のてっぺんスレスレに天に向かう龍の尾スレスレを
配置した、まっすぐ矢印の向き・向こうに飛んでいった絵に表現されてるの
かもしれません。

m(_ _)m って感じでなんちゃってお芸術鑑賞を終わります m(_ _)m(笑)

2025/06/07

1ワールド 2ワールド 3ワールド 7・8…(そして9・10)

惑星テスト「94点」(満点)のPartⅡって感じの記事

ノアの方舟はその一端で、この地球はこれまで「6度の大災難に襲われた」
って聞いたことがある。その回数は様々な仮説があるらしいけど、今回は
「6」をチョイスした。

遠い遠い過去にこの星の統一を目指そうとする「意志」があった。
しかし失敗した。その反動?みたいなものが「1」度目の、最初の
地球規模の大災難だったのでは、と仮説を立ててみる。
それをどうにかやり過ごし、次の統一を・・・と思ったけど、
実はこの星はもうワンワールドには出来ない仕組みになっていた
というさらに仮説の仮説、妄想をしてみる。
最大限に頑張っても「ツーワールド」という完成しか残っていなかった。
しかし結局それも失敗して、この星「2」度目の大災難・・・?

「3」「4」「5」「6」・・・ ┐(´д`)┌ヤレヤレ

確か大本や日月の神も(日本は別にして)
「世界は大きく7つに分かれる」と予言預言してたと
Part Ⅰ に当たる記事で書いたけど、「なんで7なんだろう?」と
考えた時、次失敗したら「7」度目の大災難だから?と逆算すると
単純計算という辻褄合わせが生まれることに気づいた。

現在ではワンワールドって言葉は「悪」と結びついているけど
もしそれが実現したら無意味で悲惨な戦争も無くなりそうだし
「ラッキーじゃん」と軽く考えたりしていました。でもしかし
すでにそんな楽園からは追放された、地球人という民なのかもしれません。
ワンワールド主義者は「悪い」というより「100点」を目指して最大限に
頑張っても「94点満点」という悲しき現実を見て見ぬふりして越境しようと
脱獄しようとしてる「罪」を背負ってるのかもしれませんね・・・という
妄想が今回の記事になります。

こんなたくさん星があるんだから未完成もあるだろうけど、
すでに完成した星星も存在してるでしょう。だとすれば「7」を回避した
「セブンワールド」は優等生ならぬ優等星なのか?あるいは劣等星なのか?
僕にはわかりません。だけど

「いつまでガキみたいなこと言ってんだよ、現実見ろやw」

という汚ねえ大人(笑)の着地点が「そんなに御大層なものなのか?」
と思ったりします。
テスラお坊ちゃまなど宇宙開発にたいして躍起になってる人々は、
94点満点のセブンワールドには「満足できないのさ!」
未開のまだ100点満点ワンワールドが可能な星を「目指すんだぜ!」
ひとつのガキの体現なのかもしれません。だとしても、だとしても
どんなに「優秀」な人間だったとしても「もう還ってくんなよw」と
言われないような魅力的な、純粋ピュアなガキであって欲しいものです。
性格ワル男くんが作った、完成させたワンワールド星は、
他所の宇宙人に「地獄星w」って陰口叩かれそうだし(笑)

キリスト教=「7」仏教=「8」がシンボル的数字だと個人的勝手に
思ってますが、この「8」を今回の記事に当てはめることが可能なら
もしこの地球に「7」度目が起こったとしても、その向こうに存在してる
「世界」を表現してるのがEQUAL仏教なのかもしれませんね。もしかして、
さっきの宇宙に飛び立つ系の人もこのグループに含まれるのかいな?
地球がダメになっても宇宙船の人々は「我関せず」でいられるだろうし。

そんな仏教に楯突いて、それ以外にもあちこちに噛みついて(笑)
孤軍奮闘してたのが金井南龍というおっちゃんですが、彼は「9」「10」を
目指していたんでしょう。
テスラお坊ちゃま・仏教の「8」(小説「美しい星」の一家も含まれる?)
どこか異星に向かって漂っていく思想もナイスだけど、そしてそれは結局
「~1~8~1~・・・」円環という無限に収束されるだけのさだめ
対する南龍氏はそれを乗り越えようとしていて
「もしこの星が爆発したとしても、本当の神界だけは不滅だ」って言葉が、
表す世界を目指していた。それが数字だと「9」「10」になるのかいな?

僕にはこんな稚拙なコトバしか浮かばないけど「グローカル」ってヤツ?