2025/06/20

GOKAN不満足(神さまの一表現)

たぶん霊界物語は1/5も読んでないのに
 第十五巻(寅の巻)第二〇章「五十世紀」という一説
そこに出てくる50世紀になった時の人類の話はちょくちょく
ここでも取り上げてる。

天国(高天原?)に遊びに来てる二種類の人類が出てくるんだけど、
2尺(約60センチ)の身長が一人前とされる人類がたくさん存在してる
らしい。そんな彼らを

鶴が出て来て、高い処へ持って上がる

と書かれてある。人類がどこか高い場所に連れ去られる描写らしいけど、
これを読んで「なんか(監視)カメラを回収してるみたいだなw」と
妄想セレブの僕はなぜか思った。

実際、このタイプの人類はEQUAL「カメラ」なのでは?
それは「視覚」だけじゃなくて「聴覚」を使って音も
「触覚」で何かを触った感触 「味覚」も舌を使って
「臭覚」も鼻を使って それら五感の「情報」を肥大した脳に蓄えている?
鶴が(神の元へ)連れ去るのは、神が必要としてるのは人類というよりは
五感情報が記憶されたSDカードやUSBメモリみたいなメディア・記憶媒体

EQUAL脳みそだけ?

記事のタイトルは1998年に出版されたベストセラーをもじったものですが
おちょくってるわけじゃなくて、神さまって5つの感覚が不自由なのでは?
という仮説(妄想)を表すためです。
「見えず」「聞こえず」「触った感覚も無く」「味もしない」「嗅げない」
万物を創造した存在のはずが五感は不満足 不満足というか正確にいえば
それらの機能は「人類に任せてるのでは?」

現時点ではYouTubeは視覚・聴覚だけですが、止まらない技術革新の結果、
五感全部を堪能できる未来が待ってるのかもしれません。
神という存在はYouTubeにアクセスしなくても鶴が回収してくれるので、
ほぼ全ての人類という端末を使って、地球中の五感情報を五十世紀には
(実は原始から今までずっと?)堪能してるかもしれない?
そんなワンシーンを霊界物語のあの部分は表現してるのかいな?
という今回の記事(妄想)でございました。



YouTubeを見てると、あまりにショッキングな映像を捉えた時
「マジかよ・・・」「オーマイガ・・・」みたいなYouTuberの
「心」の声が入ってることがあります。記憶媒体としてはムダな音が
混入しない方が優秀ですが、思わずクチから「漏れちゃった」のは
人間の反応としてはおかしくないでしょう。

「五十世紀」の世界では

六尺(約1.8メートル)以上の体躯を保ち

もう一種類の人類が出てきますが、先程までの妄想に接続できるなら
彼らもう一種類はさっきのチューバーのように「感情・こころ・精神」を
神さまに提供する端末なのでは?
喜怒哀楽に代表される、それ以外にもあれやこれやフクザツな感情を
表面には出さないとしても内面の奥底に隠してるのが人間ってヤツです。
神さまは感情こころ精神が不満足、不満足というか正確にいえば
それらの機能も、五感の記憶メディアに比べたら圧倒的に少数の
「人類に任せてるのでは?」

毎度毎度の妄想の積み重ね、お恥ずかしい話ですがお許しを(笑)

聖子ちゃん明菜ちゃんの片方を選んでしまった僕だから
王仁三郎より金井南龍に惹かれてしまうのかもしれません。
どこか反逆者チックな彼は「一世紀に6、7人」という価値観を
提唱していたそうです。
そんなふたりの聖人を日月神示にスライドさせることが出来るのなら、

「三」かなり大勢
「二」圧倒的に少ないが「6、7人」よりはかなり多そう

「一」にあたる微粒子みたいな人は、その「魂」を神に提供するのでは?
「一」が存在することで初めて「◯」までたどり着ける(生まれいづる?)
そうしてようやく神がこちらを地球人類を、単なる情報=「◯」じゃなくて
ほんとうの意味で理解というか認識できた状態が

「⦿」丸の中に点とか?