2025/02/23

ものがたりじゃなくてたいせんのほう(だい◯のみち)

蘇我物部を戦い抜かせることで漁夫の利を得た?
誰かさんのちょいハズい過去の歴史もあったのかもしれませんが?
そんな「共倒れを目論む」とは真逆の、ギャンブルでたとえれば
赤と黒・丁と半みたいな、国家規模な賭場カジノが実は実は「非公式で」
行われていた?

アラマタさんの「ものがたり」「たいせん」は、映画版しか観たこと
ありませんが、博識の権化みたいなあの方は歴史の裏に隠れてたはずの
「ホント」を無意識に掴み取ってシマッタ?
たいせんの大物俳優タンバリンの行動がそれに相当していて、
ルーレットにたとえれば赤にも黒にもどっちにも賭けることは可能らしい
ですが、つまりあれって「そういうこと」だったのでは?
スギちゃんのビザの話も感動的ですが、あれも同じく日本国の
「非公認」「黙認」じゃなくて実は実は「ちょうど半分半分づつ」
賭けてみたって可能性はゼロだったのかいな?

お昼の番組を見てるだけても、ユダヤVSチャイナが透けて見えてくる?
妄想できる?面白い時代・面白い国ですが、これも先ほどと同じく
共倒れを目論んでるわけじゃなくて、
ルーレットの赤と黒「双方」に賭ける

帝都?日本?大戦?大勝負?

お隣りのカジノで、UKRAINE巨額支援とRUSSIAN議員擁立という
ルーレットも始まりそうですが、結果的に小さな勝ちになったとしても、
ちょうど半分半分になる絶妙な「丁半・黒赤」に賭けなければなりません。
文字通り国家の命運を「賭けてる」わけなんで、プレイヤーのテンション
MAX・アドレナリン出まくりかもしれませんね(?)

綺麗事じゃ済まないエリアの話なんで「なんかズル~い」と子供のように
非難もできないんでしょうが、手持ちのチップを「全賭け」してる気配も?
金井南龍大先生の提唱してた、第三の?あるいは第一の?「道」
南洋の島国を含めた「ハヤミ連合」を思い出せば、ギャンブルじゃない、
地道な労働の「大切さ」を思い出したりします・・・(なんつってー、笑)

ついでに最後に今回も、テスラお坊ちゃまの悪口で終わると、
オメーのアドレナリンになんの尊い価値があんだよw

2025/02/22

惑星テスト「94点」(満点)

確か大本や日月の神も(日本は別にして)
「世界は大きく7つに分かれる」と予言預言してた気がするんで、
最近の世界のグチャグチャはそれに由来するのかもしれませんね。
ってちょっと前にも書きましたっけ?

そんな時にコントラストとして思い出すのが「ワンワールド」って
輝かしい言葉ですが、偏差値教育をどうにかこうにか経験してきた
自分からすると、このワンワールドって言葉に、なぜかなんとなく
シンパシーみたいなものを抱いてしまいます(笑)

それは天津の神・国津の神の駆け引きにも似て、
天津的なワンワールドが「100点」だとすれば「ツーワールド」が「99点」
7つに分かれる地上とは単純計算で「94点」に相当するのかもしれません。
それが天津的な価値観では完璧じゃないとしても国津的やさしい世界では
「それで十分!みんなスゴイぞ100点満点!」ってことになるのかなあ。

一連の神示を解釈すればそんな未来の7世界を統括するのが国常立尊
なのかもしれませんが、僕ちゃん大好き・金井南龍はそんな尊い神を
「壁を作りたがる魔王」と悪口(笑)を言ってました。
さらにイギリス?ニュージーランド?の人のツイートで見かけた
「国家とはひとつの発明」欧米的な鋭利な断定形に驚きながらも
「そうなのかもなあ・・・」と思わず感心してしまいました。
ふたつの言葉ってどこかつながってるのかもしれませんね。

せっかく歯車が噛み合って国津神示的な未来が動き出したかもしれないのに
わざわざ嫌味なことを言うイヤな人間(笑)

それにしても完全管理された箱庭の中の「王様気取り」「自由奔放」って
なんとも哀れ(笑)

2025/02/10

(・)縄文ネット・弥生テレビ・(第3の目線)

なぜか唐突に「縄文ネット」「弥生テレビ」って言葉が思い浮かぶ
「言いえて妙」我ながら感心する面白い表現だと思った。

C'MON!ななみん!大先生の小説に安倍晴明を主人公にした作品が
あるけど「時が遡る」ってそんなに忌まわしい・忌み嫌うべき
事象なのかいな?それでも現実的に時が遡ると、例えばUSAの
ウンコトランプやテスラお坊ちゃまのヤリタイ放題みたいな状況に
陥ってしまうのか?全く理屈が成り立たないけど、
僕には今のアメリカが「弥生に復讐しまくる縄文」
って図式に見えちゃってる。(PLUS Go霊信仰 & HojoA?)

中央集権で巨大権力を保持していたと思ったら、
粒粒の部族社会を把握しきれなくなった?
そんな色眼鏡でテレビ&ネットを弥生&縄文につなげるのは、
あまりにも強引すぎるのか?
「縄文の神」その眷属は(ワールドワイドウェブな?)「クモ」
南龍氏の発言はここに着地できる話で、白山菊理媛・その信仰の
敗北と復活のストーリーは僕の眼の前にある真っ平らな画面の中で
繰り広げられていた・いるのかもしれない。
弥生王・天皇はたくさんのピンチを乗り越えて現在に至ってるはずだけど
(ネット)縄文が「蔓延る」現在は、もしかしたら近年稀に見る大ピンチ
なのかもしれぬ?

あまり書いちゃいけない気もするけど「に島流しした文」って
ナイス!ネーミングも弥生JAPANを支えてる強大なマジカル・・・?

そんな僕個人はあんまり縄文が好きじゃないのかも知れない。
(田舎者だからでしょう、笑)そのせいかNEO縄文とか
それに接続できそうな弥勒の世とか色々あったとしても、
そんな理想社会に「何の価値があるんだろう?」みたいな
白けた気分になったりする。
人類が他のほとんど全ての生物たちと違って、
もっと「オカシナ生き物」だと思いたいのだろう。
だからネット(縄文)の申し子?時を遡ろうとするモノノケ?
マペットマペットtrumpET・イーロンなんちゃらが、
どんな変革をしたとしても「そんなの何の意味もねえよw」と
身の程知らずに思ってみたいんだろう。
ただしカマラ・バイデン路線が優れてると言いたいわけじゃない。
それでもこの奇妙な生物の「生態」としては、あんな風に無理めの
高い高い理想を掲げ・夢まぼろしを追い求めてるほうが「ふさわしい?」
奇妙な生き物の特徴としては「納得できる?」みたいな気分である。
僕は「循環恐怖症」の田舎者なんだろうな。

安い酒で酔っ払って書いた文章はこんな結末になってしまいました(笑)
肝川の車小房おばあちゃん由来の発言らしいですが、天津神&国津神から
一定の距離を保つ第三の神が存在して、その一柱に「青森白木彦」がいる
そうです。なんの因果か青森県の輝かしい県庁所在地に暮らしてる自分と
しては、その事になんらかの「御縁」を感じたいものです。
とか言ってみても国津(≒縄文?)天津(≒弥生?)を超えた
第三の地点に到達するのって、それこそ神業レベルの話なんでしょうが、

2025/02/08

(たとえ錯覚でも)現れた神は「神」

特に親皇でも、天皇制がどうたら、ってタイプでもない、
そんなニュートラルな半端な人間が
天皇さまを思い浮かべたときの妄想

鉛筆でもシャーペンでもいいですが、真ん中あたりをつまんで
軽く上下に振ってみると

「ほら、なぜか曲がって見えるよ~あんな硬いはずなのに~」

いわゆる目の錯覚ってやつですが、僕はこの様子を思い浮かべる度に
なぜだか「なんか天皇みたい」って思ってしまいます。
もちろん「インチキだ」と訴えてるわけじゃないです。
(公式には)この地上ではない天上の異世界からやってきた存在を
どうにかこうにか目に見える形で表現するには、
このような錯覚を利用するしかすべが無いのでは?

なんでこんなことを思いついたのか自分でも意味不明なので、
むりくり言語化すると「こうなるのかな?」と妄想しました。

2025/02/02

南龍大先生の二等分(庶民の、当たれ!宝くじ!!、笑)

たぶん金井南龍氏が日本で世界で?初めて公に向けて情報開示した
トヨスキイリヒメとヤマトヒメが築いた伊勢五十鈴のフトマニ・クシロ
そして役行者の修験道五十鈴のフトマニ・クシロ
そんな神のヒミツのテクノロジーと、僕が向こうのブログでやってる
魔方陣は全くのイコールとは言えないけど、かなり近しい関係だと
一方通行に思ってます。

金井氏がそのライン群の二等辺とか二等分に注目してた形跡は、
(僕の得られた情報では)無かったようですが、僕は勝手にそのことに
価値を見出そうとしていました。そんな別々の、ランク違いの人間の(笑)
「ふたつ」を「ひとつ」に合体させてみようかと・・・

「たかが」なんて書いてみても、持たざるものの僻みにしかなりませんが、
たかが金持ちが世界を引っ掻き回してる惨状が、あらわに表面化してる
2025年です。しかしそんな僻み根性を一旦ちょっと横に置いといて、
彼らをお下品な金持ちじゃなくてスーパー「ラッキーマン」と捉えたら
面白いストーリーが生まれるのでは?金井南龍がコッソリ構築しようと
していた「二等分」の「魔方陣」の、哀れなパロディの実体化が、
彼らおカネのラッキーマンなのでは・・・?なんて妄想が今回の記事

金井南龍バージョンの森羅万象、あるいは金井曼荼羅と呼んでいたモノ
雑誌ムーのサイトからパクってきました(笑)
これをぼんやり眺めていたら
「フトマニ・易・マジナイ ウンやツキ」と書かれてる矢印ラインが
一方通行じゃなくて、神界・仏界(&霊界etc)のように相互通行の
二本線になれば、バランスよく「生」を頂角とした二等分の魔方陣のような
「フォーメーションに成るよな」と思い浮かびました。
金井氏の霊界嫌いは徹底してたようですが「人間界=◯=霊界」という
お笑い的な意味での「お約束」の経路を封じたら、さっきの二等分が
さらにスッキリと整備されることにも気づきました。

彼のウィキを見るとその著書で目立つのは
「フトマニ・易・マジナイ ウンやツキ」に関するものです。
庶民の金銭的なスケベ心を刺激して「注目を集めようとしてた?」
なんて失礼な解釈をしていましたが(大変スイマセン、笑)
実はもっと深くて広い真意を隠していたとか?

相互通行って点では神と仏は「相対」的に位置しているが、
彼の価値観ではそれはとても「おこがましい」ものだった?
そんな仏教のすました「悟り」に相対するように、俗っぽさ全開の
マジナイやウンやツキをセッティングしたのは「硬軟」のバランスが
取れてるのかもしれない。その相対は左右に揺れる振り子では無くて、
南龍的世界観ではどことなく心もとない「仏の世界」と、
最終的には地球撤退と彼が予言していた「コガミ・太極の世界」
あくまで第三の道である神界ラインを際立たせるための、
わかりやすい道標みたいなものなので結局は付属の存在でしかない?
そんな裏の本意があったのでは。

「コガミ的なラッキーピエロのあんたは、自分の本の表紙で合掌して
なんちゃって仏教徒みたいな顔で、ジョブズごっこする必要ないんだぞ」
「むしろそれは最もやっちゃダメなパフォーマンス!w」
自分勝手な妄想を積み上げて、届くはずの無い相手に嫌味を言っても
仕方ない話です。
まあ結局→庶民のひとりとしての→この記事の総括は→タイトル通り→
=「当たれ!」=「宝くじ!!」になります=(笑)



南龍氏のフトマニ・クシロは同じポイントでも結び方によって
金木・管麻バージョンに変換できるそうですが、
「ニ等分魔方陣≒管麻」「二等辺≒金木」というニアリーイコールが
あると妄想しています。もしかすると金井版森羅万象・曼荼羅にも
ニ等分だけではなくて二等の魔方陣もコッソリと隠れて存在してる
のかも知れません。