トヨスキイリヒメとヤマトヒメが築いた伊勢五十鈴のフトマニ・クシロ
そして役行者の修験道五十鈴のフトマニ・クシロ
そんな神のヒミツのテクノロジーと、僕が向こうのブログでやってる
魔方陣は全くのイコールとは言えないけど、かなり近しい関係だと
一方通行に思ってます。
金井氏がそのライン群の二等辺とか二等分に注目してた形跡は、
(僕の得られた情報では)無かったようですが、僕は勝手にそのことに
価値を見出そうとしていました。そんな別々の、ランク違いの人間の(笑)
「ふたつ」を「ひとつ」に合体させてみようかと・・・
「たかが」なんて書いてみても、持たざるものの僻みにしかなりませんが、
たかが金持ちが世界を引っ掻き回してる惨状が、あらわに表面化してる
2025年です。しかしそんな僻み根性を一旦ちょっと横に置いといて、
彼らをお下品な金持ちじゃなくてスーパー「ラッキーマン」と捉えたら
面白いストーリーが生まれるのでは?金井南龍がコッソリ構築しようと
していた「二等分」の「魔方陣」の、哀れなパロディの実体化が、
彼らおカネのラッキーマンなのでは・・・?なんて妄想が今回の記事
金井南龍バージョンの森羅万象、あるいは金井曼荼羅と呼んでいたモノ
雑誌ムーのサイトからパクってきました(笑)
これをぼんやり眺めていたら
「フトマニ・易・マジナイ ウンやツキ」と書かれてる矢印ラインが
一方通行じゃなくて、神界・仏界(&霊界etc)のように相互通行の
二本線になれば、バランスよく「生」を頂角とした二等分の魔方陣のような
「フォーメーションに成るよな」と思い浮かびました。
金井氏の霊界嫌いは徹底してたようですが「人間界=◯=霊界」という
お笑い的な意味での「お約束」の経路を封じたら、さっきの二等分が
さらにスッキリと整備されることにも気づきました。
彼のウィキを見るとその著書で目立つのは
「フトマニ・易・マジナイ ウンやツキ」に関するものです。
庶民の金銭的なスケベ心を刺激して「注目を集めようとしてた?」
なんて失礼な解釈をしていましたが(大変スイマセン、笑)
実はもっと深くて広い真意を隠していたとか?
相互通行って点では神と仏は「相対」的に位置しているが、
彼の価値観ではそれはとても「おこがましい」ものだった?
そんな仏教のすました「悟り」に相対するように、俗っぽさ全開の
マジナイやウンやツキをセッティングしたのは「硬軟」のバランスが
取れてるのかもしれない。その相対は左右に揺れる振り子では無くて、
南龍的世界観ではどことなく心もとない「仏の世界」と、
最終的には地球撤退と彼が予言していた「コガミ・太極の世界」
あくまで第三の道である神界ラインを際立たせるための、
わかりやすい道標みたいなものなので結局は付属の存在でしかない?
そんな裏の本意があったのでは。
「コガミ的なラッキーピエロのあんたは、自分の本の表紙で合掌して
なんちゃって仏教徒みたいな顔で、ジョブズごっこする必要ないんだぞ」
「むしろそれは最もやっちゃダメなパフォーマンス!w」
自分勝手な妄想を積み上げて、届くはずの無い相手に嫌味を言っても
仕方ない話です。
まあ結局→庶民のひとりとしての→この記事の総括は→タイトル通り→
=「当たれ!」=「宝くじ!!」になります=(笑)
南龍氏のフトマニ・クシロは同じポイントでも結び方によって
金木・管麻バージョンに変換できるそうですが、
「ニ等分魔方陣≒管麻」「二等辺≒金木」というニアリーイコールが
あると妄想しています。もしかすると金井版森羅万象・曼荼羅にも
ニ等分だけではなくて二等辺の魔方陣もコッソリと隠れて存在してる
のかも知れません。