右旋をローマ字化すると「USEN」になるんだ!
なんだか電信柱に違法な電線が走り出しそうな気分になりますね!(笑)
新しいBS放送が始まります。
これまでは「右旋」でしたが、さらに「左旋」の電波が仲間入りします。
みたら、立体的な「右旋左旋」の “面倒くささ” に気づくことになりました。
全く正反対のお話ですが、これでも同じ回転が逆回転になりますよね。
こっちの方がお話的に成り立ちそうかな?
こっちでも 「天と地」という相対性・客観性が生まれたって言えそうだし。
「右旋=時計回りに螺旋を描く」が、宇宙のBS衛星からの視点なのか、
地上のアンテナから見た視点なのか、検索結果ではゴッチャになって
いました。多数決では宇宙からの視点が優勢でしょうか。
(WOWOWやSHARPはそう思ってるみたいでした)
個人的にはACのCMか何かで「こんな風にグルグルしてます」って
広告して欲しいです(笑)こんな些細なことから、妄想力を宇宙まで
伸ばしてしまいました。
このウヤムヤな感じはナギナミ神話にまで遡ることが可能で、
このハッキリしない様子が日本のヒミツを現してるのでは?
というのが、今回の妄想です。
陽神左旋
陰神右旋
原文が漢文ってなかなか “イイ感じ” ですが(笑)
日本書紀にはこのように記されてるそうです。これが失敗だったので、
次は逆に「イザナギが右旋、イザナミが左旋」したんでしょうね。
「わざわざスタート地点に戻ってやり直したのかな」とか考えると
クスッと笑えますが、わざわざ戻らなくても、さらには自分の回転を
変えずに全うしてもこの神話は成り立つのでは?
と、ひねくれ者っぽく考えてみました。
「時計」で例えてみます。
最初にふたりの神は12時の位置にいた。再会したのはおそらく6時の位置
イザナギは11→10→9→8→7→6時
イザナミは 1→ 2→ 3→ 4→5→6時
こんな風に回ってみたがこれは失敗だった。この後、僕の記憶では
「天神に聞いてみた」とあったような気がしますが、全ての書物に
出てくるわけじゃないみたいですね。
その天神ってどこにいたんでしょうか?たぶん柱の先端が向いた、
天上の方向にいたはずです。その天上にも「時計」があったとします。
天神のアドバイス=時計を見上げる視線と見なせば、
イコールふたりの神は天上を見上げる、地上(的な)位置にいる。
つまりナギナミにとっては生まれ故郷の天上は、
すでに客観的な世界になってしまっていて、
最初の左旋右旋は天神と同じ視点なので、地上という相対世界にいる
二神は天と同じ視点に立つことはできない。
さっきと同じくイザナギは反時計回り、イザナミは時計回りに歩いても
見上げた時計だと正反対の「時計回り」「反時計回り」になります。
同じまわり方でも逆回転になってしまうのは、ご理解できると思います。
つまりこの神話が回りくどく表現したいのは
「回る方向が逆」じゃなくて「見てる視点が逆」なんじゃないか?
それによって、
史上初めて「天と地」という
相対性・客観性が生まれたことを
表現していた?
長々と書いてきて、いまさらこんなことを書くのもなんですが、
全く真逆の仮説を書かせてください。m(_ _)m
ナギナミはずっと天上を眺めていた。
右旋左旋も天上の時計の回り方にあわせて回っていた。
それを見た天上の神さまが言いました。
『おまえたちは地上の神だ』
『地上に置かれた時計にあわせて右旋左旋しなさい』
こっちの方がお話的に成り立ちそうかな?
こっちでも 「天と地」という相対性・客観性が生まれたって言えそうだし。
再び、柱の回転
赤ちゃんの時代は男のほうが弱くて、そこから成長した幼児でも
女の子のほうがおませさんだったりするようですが、
女性が最初に声をかける≒女性の発育の早さを表していて、
スロースターターな男性がやっと女性に肉体的・精神的に追いついた
≒男性が声をかける 男女の成熟の特徴を表してるのが、
ナギナミ神話なのかもしれませんね。
「天の沼矛」とか考えると性的成熟も隠されていそう?
最初書こうと思ってたことから、大幅にズレちゃいましたが
なんとか書き終わりました。
もっとドラマティックに感動的に書けそうでしたが、才能のほうが
付いてきませんでした(笑)
『地上という「客観」を表すための表現なのかも』は我ながら
イイ思いつきだと自画自賛してます。
それと同時になんとなくうっすら浮かんでくる妄想はナギナミの
「地上に対する違和感」です。
もっと簡潔に「天&地」を表す方法はあったはずなのに、
いまだに天上に対する執着が在るので、上下を左右というカタチで
ワンクッション置いた、まわりくどい表現をしたのでは?
なんて感じてしまいました。
神々がそんな人間くさい感情を持ってるはず無いのに。