2025/07/25

NANRYU Do ネット(次元落ち)

インターネットやコンピュータがこんな身近にならなければ
「ククリヒメだ」「ククノチだ」と言われても、ピンと来ず
雲をつかむような話だと僕個人は思ったのかもしれません。

ククリヒメ(というかその眷属?)≒ 「インターネット」
ククノチ ≒ 以前はスーパーコンピュータだと思ってましたが「AI」?
神の世界から人間の世界に次元を落っこちて来るとそんな等号が
現れいづるのかもしれませんね。

2025/07/22

EQUALアーティスト?(にんげんマーブリング)


「マーブリング」こういうヤツですね。
細い棒を水面(油面?)に滑らせる度に模様が変わって
思いがけない美しさが表れます。

たとえばその細い棒を持ってるのが神だとします。
水面に浮かんでユラユラしてる油絵の具を全ての人類と
見なせるのなら、という今回の記事

たとえば戦争・飢餓って模様は人類にとっては超悲劇ですが、
それまでのマーブリングの「単なる結果」ってことになるんでしょう。
さらに神というアーティストにとっては、その美的感覚にとっては
その美醜が、人間とはEQUALじゃないのかもしれません。
あるいは、
失敗でも成功でもなく単なる(地球ならではの)「面白い作品」?

ブログでちょくちょく「MIROKU NO YO」をディスってますが、
この美しい作業も時間経過で、何回カミを浮かべてもその作品は
永遠に変わらない、混色一色のアートになってしまうんでしょう。
それを美しいと思う人がいても、それは個人個人の自由です。

ついでに別なモノもディスると、最近世界的流行の「アレ」は、
もっともっと「過去」の素晴らしいマーブリング作品に自分たちは
「戻りたいんだ!」という無理な相談で、そいつらがなにかすれば
するほど、「国家」という神の名にもとに足掻けば足掻くほど、
混色一色の世界に近づくだけだったりして(笑)

こんな記事も書いてます)

2025/07/21

明快にフォルムそのままで(⦿ひとつの解釈)

(⦿が文字化けしないで、まるちょんマークが描かれてますように・・・)

明快にフォルムそのままで、⦿マークは「、」「。」
句読点で出来てることに気づきました。

マヌケな発想ですが、これもひとつの日月神示の「ネタバレ」で、
「⦿」の「。」とは句読点的な意味と同じく「ひとつの区切り」であり、
「、」とは同じく「一旦休むけどまだまだ物語は続くよ」という意味?

ここに宣言いたします!
日月神示(大本系?)の「⦿」とは句読点の「、」「。」の合体であ~る!


2025/07/09

(じゃぱにーず?)ISHTARの御御足、その視線の先に?

金井のおっちゃん(さま)が北斎の凄さをチラッと言ってたんで、
それに呼応できそうな妄想を21世紀の令和に書けたらいいな。


芸術音痴の僕がこの絵(版画?)に興味を持ったのは、
広大すぎる「宇宙」が描かれてるように観えたからだ。
(鵜の黒い部分です)

もし仮にこの鵜を宇宙と見立てると、ふたつ面白い発見がある。

まず「なんだか足が変だな?」と思っていた。
他の部分に比べると別のテイストを感じたからだ。
どういう経緯だったか忘れたけど、最近「イシュタル」の像を観た。
古代メソポタミア地方において広く信仰された、愛と美の女神らしいけど
この女神の御御足が、北斎の鵜の足と同じものに見えちゃった?
「強調」のされ方が同じに見えたのか、なぜかEQUALを感じてしまった。


実は宇宙と大地(地球)は、それぞれ根本が3本に分かれた2本柱で
結ばれている?若干、秘教的な風味すら感じる「ネタバレ」だったら
面白いんだけどなあ。

もうひとつは、この「鵜」は巨大すぎる宇宙を内包してるにも
「関わらず」それに満足していないのか、まるで「上」を見上げている
ように見えることだ。
これも北斎の絶筆とされる「富士越龍図」の「上」とつながる?
あるいはEQUALの「上」?


「メン・イン・ブラック」「コンタクト」?にも出てきた記憶があるけど、
この太陽系を超えて < それを包含するもっと大きな宇宙も超えて<<
さらに更に大きな宇宙を<<<  反対ベクトルのマトリョーシカみたいな
目眩< CGがハリウッド映画では時々描かれている。
北斎は同じものをさりげなく何気なく描いてみせたのかもしれぬ?
さらに彼はイシュタルの存在・像を何かで見て知ってたわけじゃないのに、

「なぜか描けちゃった?」

だから金井南龍おっちゃんは神様方向から眺めて「北斎は凄い」って
見抜いていたのでは?

という今回の記事でした(できれば妄想を超えてますように<<<、笑)

2025/07/07

やがて悲しきアイドルソング(意外とシントー?金井のおっちゃん)

滝の行者と呼ばれたこの「シントーか」に僕が惹かれるのは
時代に忘れ去られた、あるいは当時でもそれほど知名度なかった、
だけど重要なことを未来に伝えてくれたから?
それも一因かもしれませんが、実は実は21世紀になった今でも
そのごしんぎょーは意外と「シントー」してるのでは?という
何気なく流れていくアイドルソングに絡めた、今回の記事

さすがに五拍子のアイドルソングはほぼ存在しないでしょうが、
たぶん「5」を印象付けたいんだろうなあって曲は在りそうです。
群衆じゃなくて個人でデビューした(出来た)そしてトップに
躍り出た最期になるのかもしれない娘っ子の、そのデビュー曲とか
そんな感じです。

筒美じゃないほうのキョーヘーさん、夢はかならず叶うさん
そのまんま五拍子の曲はあったりしますが、オシャレなイメージだけで
なんらかの「神」の気配が感じられないのが自分でも不思議です。
(トリッキーなアレンジも含め、普通に良い曲なんですけどね)

たいする四拍子ですが、ほとんど全てがそれに当てはまるので
特に「4」を印象付ける必要は無いわけですが、なんとなく
「4」を「際立たせたいのかいな?」と匂わす・感じさせる曲は、
令和になってからもチラホラ?
なんの因果か、Jani-zu大騒動の頃にもリリースされてた記憶があります。
歌番組で若干苦笑混じりで開き直ったようにパフォーマンスしてましたが、
「久々に活きてる人間の姿を見ちゃったw」って印象で、ナウなヤングの
不思議な「清々しさ」が面白かったです。

これを金井氏の「4から5へ」の道程
過去に引きこもる・未来に引き釣りこむのコントラストに
見えちゃったのは、宇宙で銀河でぼくひとりなんでしょう。

それぞれの曲は明るいはずなのに、それぞれの想いから生じる
悲劇がまつろってるように見えてしまうのが「いと残酷なりけり」
なのかもしれません(まわりくどすぎて自分でも意味わからんw)
(文末ですね、笑)