2025/01/10

ふたつの音と、地元神社で「救世」(の欠片)

みなさん、あけまして!
ってどんと焼きも終わって、すでにおモチも食べちゃった時期ですが
今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

そんな新春第一発目ですが、毎度の妄想から生まれた記事じゃなくて
なぜか思い出したので、ささいな思い出話から。

金井南龍大先生は「神界の神」「霊界の神」2種類あると
おっしゃってましたが
(彼が言ってる霊界の神ってどんな感じのものなのかなあ・・・)
ある日、そんな事をぼんやり考えていました。すると

「キンコンカンコーン~」

学校のチャイムでした。風向きによるのか聞こえないときもありますが
時々聞こえます。規則正しく流れる音なので特に驚きませんでしたが、
(だったら神界の神ってどんな感じのものなのかなあ・・・)
芋づる式にそんな事を考えていました。そしたら

「ピピピピピ」

あるいは「ビビビビビ」の中間みたいな音が聞こえてきました。
車から発せられた警告音だと気づきましたが、いつものご近所では
聞いたことのないタイプの音だったので若干驚きました。

「それがどーしたw」

って思い出話ですが(笑)僕にはこれが「霊界」&「神界」の神を
かなり簡潔に表現してくれたように感じました。
神の神はリズムだけ、それに音階がつくと霊の神になるのかいな?
「一種の規則性」「ビックリ不意打ち」そんな違いもあるなあ
と思ったわけです。そんな単純な話じゃないでしょうが、
僕はそう思った。そんなシンクロにゴッツンコさせてくれた何かに
まじりすぺくと!(笑)



もうひとつ金井氏に結びつく(結びつかない?)思い出
木々に囲まれた、ほぼ山の中みたいな神社で、
ベンチに座ってまどろんでいました。
強烈な神気みたいのは感じたことのないけどまったりしてて、
ちゃんと管理はされてるけどいつも無人で、自宅からはかなり
離れてますが時々参拝したくなるくつろげる空間です。
それでも今までは境内でまどろむことは無かったし、それもかなり
長めだったので珍しい思い出として今でも覚えてるんでしょう。

そのままうちに帰ろうとしましたが、帰路で別の神社にも参拝する
ことにしました。こっちは街なかなのでそれなりの参拝者で、
僕が鳥居を潜ろうとしたら、すでに参道にはふたり連れがいました。
母子らしくて、お母さんの方は腰を曲げてある程度の高齢に見えました。
息子さんとふたりでの参拝だったんでしょう。
ふたりが本社の社殿でお参りをしてたので、僕は横にあるちっこい
境内社に先に行ってその後に本社に行こうと思いました。
そのちっこい参拝を終えて、きびすを返すとさっきの「ふたり」
前の方から見る位置関係でした。でもしかし

「ふたりじゃない!?」

確かに母子連れでしたが、母親の腕の中に小さな命が抱かれていました。
息子だと思ってた男性は父親で「さんにん」でお参りしてた!?
かなり小さな赤ちゃんだったので「お宮参り」だった可能性も。
お母さんは腰が曲がってたわけじゃなくて、子どもを抱くことに
あまり慣れていないせいで?若干前かがみな姿勢になっていたのかも。
でもそのせいで僕には高齢のお母さんの後ろ姿に見えたんでしょう。

こんなささいな出来事が、個人的勝手な思いつきに結びつきました。
(金井南龍が言ってた)救世主と、その母って
「こんな関係性を成してるのでは・・・?」
冷静に考えるとこの光景が金井氏の未来予言と結びつく要素は
ほぼゼロなわけですが、なんとなくの一瞬の直感で
僕ちゃんは「そう思っちゃったんだも~ん」仕方ありません。

「フタリノヨウデサンニン」「ムスコノヨウデチチオヤ」
そして「ハハノヨウデ・ツマノヨウデ・・・?」

そんなフォーメーションが南龍バージョンの救世メサイアには
「含まれているのでは???」
そんなオカシナ妄想が浮かんでシマッタという結論でございますm(_ _)m
そんなこんなの、確か去年じゃない数年前の思い出などをツラツラしながら
新春2025!をスタートさせたいと思います!今年もよろしく!