2024/09/30

乗る 座る 美しく(僕は飽きずに車窓をパチリ)

電車に乗るのは年一回くらいですが、
今年は8月に乗ったのでもう打ち止めでしょうか。

乗客を見てると賢そうに大口開けて寝てる人(笑)
それ以外はほとんどスマホとにらめっこって車内風景が、
何年も続いてましたが、今年2024年はちょびっと変化してることに
気づきました。

ほんの数人

ですが、文庫本を読書してる人がいました。
なんだか久しぶりの光景に若干驚いてしまいました。
妙に美しい姿に見えたのは、決して周囲とのコントラストじゃなくて
その人本人の本性だったのかいな?

みんな若い人たちでした。
そういえばSNSに疲れて「読書会」がアメリカの若い層に
静かなブームって聞きましたが、極々自然に密やかに起きてる
世界同時多発的なムーブメントなのかもしれませんね。

僕の場合、路線がそっちなら「千曳」の駅名標は必ず撮ります。
一種のルーティンなんでしょう。

2024/09/04

(妄想セレブが眺める)陰ボー論の ワン・ツー「スリー」

ロスVSロックが陰謀の究極だとは思いませんが、
キャラが「確立(た)ってる」のでワタクシも利用させていただきます。

数字で表わせば

Rothschild =「1」
Rockefeller=「2」

になるんでございましょう。
ワンワールドはどちらかといえば「1」の陣営の武器
アメリカ老芸人の「分断芸」は、「2」の陣営の武器
あまりに短絡的ですが結局つまりはそーゆーことなんだと思います。



「俳優」って言葉がEQUAL男性を表していた時代は
終わりを告げつつあるようですが、21世紀の令和の
「俳優」が男女共用になったのも「1」の陣営の後押しが
あったからこそでしょう。妄想セレブはそんなお見立てです。
「男優」ってコトバがなぜか半笑いになって一般化しなかったのも
実は「1」が仕掛けた陰謀なのです・(ウソです、笑)

僕の妄想色眼鏡では、2~5ちゃんねるは王仁三郎(あるいは霊界物語)の
マジカルの産物(成れの果て)だと睨んでいます。ちゃねらーと呼ばれる
人らの性格を鑑みれば「1」VS「2~5ちゃんねる」になるんでしょう。
老芸人一色だった前回と比べて、対立候補への組織的?が少なくない、
かなり多めに見えている2024年です。
現在もアメリカにサーバーがあるのか?そこから「本当に」目には見えない
ウイルスを某国が某国に流入させているのか?僕には可視化できませんが、
選挙結果は如何に?

「2」(ちゃんねる)の陣営は男女対立も大好物ですが、
「女さん」とか書いて喜んでる「男さん」を見てると、
いかにも「モテなそう」と思えてきます。そんな(恋愛)弱者男子の
ポテンシャルを最大限あらゆる方面に利用することに、そんな情けない
未来になろうとは

「王仁三郎でも気がつくめぇ」(笑)

ネット内の男女分断から透けて見えてくるのは「マザー」に対する
「コンプレックス」では?と心理学者でもないのに解析しています。
そんな男女(母子)分断が下記の文章へと繋がっていきます。




NHK@パリオリンピックの番組のオープニングを見て
「ほら見て!陰ボー論!目玉ばっかり!」というネットからの声が
ほぼ皆無だったのを見て時代の流れを感じましたが、それは置いといて、
土砂降りの中で決行したあの開会式は華やかな「1」な開会式だった?
僕が面白いと思ったのは「キリスト」の位置に「2」が歯ぎしりしそうな
同性愛の人物を据えたことです。さっきの「俳優」という言葉と
同じ文脈の存在をチョイスしたのを見て「1」のセレモニーを感じました。





あのセレモニーを見て「意識高い系w」の「おしゃれなw」って言葉が
特に「2」の界隈にあふれていましたが、僕はそんなネット悪口とは
コントラストを成す、宗教エリアの人々の「愚直さ」を妄想していました。
女性@レズビアンがキリスト役を演じたわけですが、
味も素っ気もない思いつきですけど、本物のキリストをDNA検査したら
「女性だった」ってことはないんでしょうか?
今回のオリンピックでは性同一ナンチャラが話題になりましたが、
あれもキリストさまの性別「どっちやねん!」というキリスト教界が
奥に秘めてるモヤモヤが根っこにあるように見えたんですが、
書いてることが辻褄合ってないのは自覚してます。なんとなくの
ニュアンスを感じてもらえたらうれしいです。

どこから入手したのか忘れてしまいましたが、
「マジコレ!?(笑)」と笑いそうになる画像がPCに保存されてました。
ヨーロッパのどこかの教会に飾られている絵画だそうです。これを
下衆な視線で見てしまうのは僕がキリスト教信者じゃないからでしょうが、
このコントラストを「愚直な」色眼鏡で眺めたらどんなふうに見えるのか?
実はマリアのクローンだった(かもしれない)イエス・キリストが
あの傷を負うことで初めての体内受精した?
槍という人造のおティンコティンを刺される(挿される)ことで
神霊世界的にあるいはシンボリックにそれが実現できた?
その後の復活とはそれが男性女性わからないけど、
マリアオンリーじゃない、新しいイエス・キリストの誕生だった?
「2」の弱男から透けて見える「ママなんて・・・大チュキ💜」とは
似て非なる、それは「母」からのインデペンデンスなのかもしれない?
自分でも何言ってんだかわからないのが、いと悲しですが、
そして再びの繰り返しになりますが、
「ニュアンス」ってことでよろしくお願いいたします(笑)
話はかなりそれますが
てんのーとキリストを結びつけたい「陰ボー論」もあるようですね。
「槍」というEQUAL「武」を「初代」と結びつければ、僕の妄想世界では
神+武 ≒ キリスト」って等号を思い浮かべるのも可能かも?です。

緑の文字はちょっと横に置いといて、
以上が宇宙で銀河でぼくひとりかもしれない?
陰ボー論の「3」になります。

・・・ひとつ心配なのは僕はいわゆる「Eva」を見たこと無いんですが、
「おまえパクんなよ!w」と笑われそうな気配です。Evaに限らずですが
僕が今回書いたことなんて、とっくの昔に既読スルーなのかもなぁ・・・
とかなんとか不安にグラグラしつつ、最後はおちゃらけて終わります。

(俳)優さん
「どう見てもコレ、おマンマンだろw」
  (これぞ陰モー論!?、笑)

2024/09/02

リッチオーシャンEQUAL(なんでも英語、笑)

ミッシーマの最後の小説「四冊もあって超分厚い、こんなの読めねえよ」
と思いつつも、マヌケなことに四冊目のラストだけ読んでシマッタ!?

それをジャパンのお笑いと結びつけた記事も以前発表しています。
(下の方にネタバレしないように書いてます)



僕は時々「◯◯」と「◯◯風」の違いについて考えることがあります。
たとえば「日本」と「日本風」って「何が違うんだろう?」とか。
そんなある日(今日です)こんな小説の文章を綴っていました。

ミッシーマは運転手 リッチオーシャンって車を運転してた。
そのドライブは「日本風」という高すぎ硬すぎの壁に激突して終わった。

そんな妄想してたら「慣性の法則」を思い出しました。
その車がバカみたいにまっすぐ高速で壁に衝突したら大破するのはもちろん
ドライバーだって無事では済まない。フロントガラスを突き破って車外に
投げ出されることだってありえます。
しかしそんな血まみれな悲劇なのに、その車の勢いと自身の勢いによって
「日本風」って壁にヒビが入る?それは万が一かもしれないけど
運転手だけでも壁の向こうに突き抜けられる(飛び越えられる)
そんな可能性だってゼロではない・・・?
その壁の向こうが、なんだか一向に輪郭のつかめない謎のエリア
「日本」そのものだった

って未読の人間が辻褄合わせの逆算をして因数分解して3.14をかけたら、
こんなEQUAL妄想が導き出されました(笑)

同郷人と日月神示(いわゆるTERAYAMA)

同郷ってことで「寺山のひとつやふたつ読んでみようかな?」と、
本当に2冊だけ読んだ自分でありますが(笑)
ボクサーか何かの小説に妙に興奮して(その他の因子も加味して)
「TWIST&EQUALビフォーアフター」ってブログタイトルにしたことを
懐かしく思い出します。

詩もたくさん載ってましたが、覚えてるのはひとつだけです。
地面にクレヨン(鉛筆だったかな?)で線を引いていくと、
地球は丸いので何周もグルグル線を引くことになる。そのうちクレヨンが
地上を離れて宙に浮かぶ。そのまま宇宙にも線を引いていく
ってニュアンスの詩だったと記憶しています。

その当時は思いませんでしたが、この2つの状態って
「国津神」「天津神」にスライドできないのかな?
そんなことが思い浮かびました。
浮かんだことはもうひとつあって、


もしも僕がこんな10文字を寺山の詩のように書き連ねたとすれば、
自分では広い広い平面に記してるつもりでも、大きく俯瞰すれば
それは球面上に記されていることになります。

そんなひとつ上の次元を表しているのが
「一二三四五六七八九十」の上にあるとされる
「◯」なのでは?なんて妄想も芋づる式に・・・

「オマエは二次元上で必死に書き進めてると思ってるけど」
「実は三次元な行為なんだよ」

次元のひとつ上から目線(笑)の「瞳」に相当するのが、
真ん中にある「・」なのかもしれませんね。
宇宙からでもそれは可能ですが、地球の中心セントラルに座す神々も
内側から三次元文字は見えているはずなので、そういう意味では
セントラルな「・」を、EQUAL国常立尊 EQUALスサノオという
地下の奥深く封じられた神々の目線と見なす事もできるのでしょう。

もうちょっとデリケートに深く感じ入るべきなんでしょうが、
こんな何の面白みもない把握しか出来ない自分の情けなさよ(笑)

2024/09/01

それってあなたの誤植ですよね?(でも意味あんねん)

重箱のSMITH(隅ス)なんで、ほんの些細なことなんですが、
幽閉されてた菊理姫はじめ白山系の神々を
「嵐の中を白山に登って皇軍霊団と戦って解放した!」
それって

「昭和3年8月9日」
「昭和3年8月9日」

どっちなんでしょうか?
ネット上ではふたつ見かける情報です。

この日付を西暦に直すと「1960年」「1963年」ですが、
どこまでも一桁に変換する占いの一種を思い出せば
1+9+6+0=1+6=7 つまり1960年は7の年になります

「7年 8月 9日」(1960年・昭和35年)
「1年 8月 9日」(1963年・昭和38年)

これを見るとキレイに階段になってる1960年(昭和35年)の方に
気持ちが傾いてしまうのは僕だけなんでしょうが(笑)
この変換法から「~123456789123~」という
循環する階段も生まれるので、つまり「8 9 1」という
1963年(昭和38年)の階段も存在してることにも気づきます。

確かこの占術では「年+月+日」も足して足して
一桁にしてた気がします。だとすると

「7年+8月+9日」=24=6
「1年+8月+9日」=18=9

先ほどに一段足した「6 7 8 9」という階段状も現れましたが、
1963年は「8 9 9 1」なので、単なる数字遊びって観点からは
1960年のほうが・・・?

ここで再び「元号」に戻して、数字変換すると

「(昭和)8年 8月 9日」
「(昭和)2年 8月 9日」

になりますが、「なんかデジャブ?」って気持ちになりました。

「(大正)6年 6月 5日」

南龍が金井三吉おぼっちゃまとして御生誕(笑)なさった日です。
ここに現れる「665」が、良い意味での「666」の前段階で、
キリストと対比させれば「洗礼者ヨハネ=金井南龍では?」という考察を
どこかで読んだ記憶があります。さっきの昭和35年の「889」を見たとき、
これを思い出したんだと思います。

先ほどの西暦と同じく「年+月+日」すれば、
「7 8 8 9」「 8 9 1 2」になりますから、
今度は昭和38年に1ポイントってことになるのかな?



毎日のように検索してる「金井南龍」で、久々に新しいサイトが
引っかかりました。そこに書かれていたとおり、直に南龍と交流のあった
武田崇元氏が「昭和38年8月9日に」と発言なさってるので、
こっちの日付が正しいんでしょう。
でもしかし、単なる誤植から広まったにすぎない?
この「昭和35年・1960年 8月 9日」という間違ってるはずの数字も、
単なる数字遊びという色眼鏡を透かしてみれば、なんちゃらの見えざる手
みたいな気配がしてくる?とかなんとかが今回の妄想でございました。

PS:御逝去された日は 平成元年・1989年2月27日とウィキにありましたが、

西暦だと「9 9 2 2」
元号だと「9 1 2 3」

になるのかな・・・