野球の大スターだったKIYO
最近は落ち着いたようですが、
かなり波乱万丈な人生を送ってます。
その名字の人の不幸を思わず喜んでしまう人らも
どこかにいるのでは?って
記事を以前に発表しました。
さらにそこから艮の金神という神の「履歴」も。
この神が、それが悪伸だとしてもクローズアップされる
きっかけを作ったのが、清原定俊という人物だったと
明経道という、儒学を研究・教授する家の人間らしいです。
つまり儒教の人が「艮の金神=最悪の神」とレッテルを貼って、
そこから東北って方位のイメージダウンにも繋がったわけです。
青森人としては憎たらしい人物ですが、東北人以外にも
「余計なことしやがって・・・」と思ってる人間がもしかして
いたのでは?
過去の人たちが言うように「艮の金神(国常立尊)」が
封じられていた神だったとしたら、
「木を隠すなら森に隠せ」の言葉通り、
忘れ去られた神にしておいた方が安全だったのでは?
それって素人さんの浅知恵になるんでしょうか。
王仁三郎によれば、そんな大神を「五節句を使って調伏していた」
そうですが、そこにはダイレクトな神の名前は示されていません。
習慣化して自動的にやってただけですから、極めて知能犯なやり方と
言えるでしょう。
それなのにそれなのに、
どっかの学者風情が「余計なこと」したせいで
無意味な注目が集まることになってしまいました。
そして「恐れる」は「畏れる」にも繋がる可能性がある言葉。
そんなおまけ付きの注目です。
「金神なんちゃらとか迷信です。天皇さまからもなんか言ってよ!」と
陰陽寮がクレームをつけたんだから、もしかしたら金神信仰(嫌悪?)は
広まらなかった可能性はあったかもしれない!?
ひねったメビウスのような形ですが、艮の金神を結果的に復活させたのは
陰陽道というマジカルじゃなくて、さほどマジカルっぽくは見えない
儒教だったんだなあと、なんだか意外で不思議な気分です。
コレを妄想するきっかけになったのは、このブログの常連さま
金井南龍のコトバを読んだからです。
徳川三百年の礎を築きあげたうちの一人である
怪儒林羅山の・・・・
と発言は続きますが、伊雑宮復古のお願いと一緒に提出した
先代旧事本紀大成経が偽書と見なされて燃やされる事になったのは
この林羅山という怪儒のせいだったらしいのです。
怪儒というのは、極めてやり手、憎いほどやり手の儒学者って
ニュアンスなんでしょうが、僕はこの言葉にマジカルの匂いを
感じてしまいました。なんとなく道徳の一種みたいな儒教にも
「マジカルが内包されてんのかなあ~」と思ってたら
今回の記事が出来上がったわけでございます。
結果的に国常立尊を発掘することになった儒家ですが、
先代旧事本紀大成経では逆に埋没の手助けをしたことに
なるんでしょうか?
それともそれとも、わざわざ偽書と認定して燃やしちゃったことが
木を森に隠さず、事態を大げさにしちゃったことが
どこかの誰かさんにとっては「余計なことしやがって」
だったのでしょうか?