なんとも“はしたない”タイトルですが、そのまんまです(笑)
ウンやツキを司っているという金井南龍氏発信の「御蠱の蠱神(ミマジノコガミ)」について
欲まみれのおっさんが、またまたオカシナ事を思いつきましたよ(笑)
御蠱の蠱神だって、経済的に上位の金銭的に余裕がある人なら
グーグルに聞いてみました。でも以前も検索したので
新しい発見は無かったんですが、
「蠱神(コガミ)」って「九十」って変換しちゃダメなのかな?
でも日月神示の法則的にはおそらく間違ってませんよね。
この神さまは「易神」とも呼ばれてるようですが、金井氏は
「(中国人は)日と月って漢字を組み合わせて 易 という文字を作った」
と発言してたそうなので、さらなる日月の出現か?
コン・ゴン・ハク・スイ・ダラニの五段活用で
世界を捉えてた金井氏ですが、二番目のゴンが無視されてることが
大きな問題であると訴えていたようです。
そして「フトマニ」を五段活用した場合、
・純粋フトマニ
・御蠱の蠱神
・学問的フトマニ
・血筋フトマニ
・利害善悪的フトマニ、となるそうですが、
今の世界を形作る4/5と、無視されていたこの神さまが1/5だとすれば、
一二三四五六七八の8/10=4/5 九十の2/10=1/5という
単なる初歩的な算数ですが、比率的には釣り合ってるように思います。
金井氏は今のミカドをバックアップしてる神が「八合目」だと見なしてた
そうですが、それも日月の「一二三四五六七八の世+九十の世」を
思い出させるのは面白いです。
しかし「九合目の」「十合目・頂上の」神様と言われてもピンと来ません。
そこで個人的勝手な解釈ですが、もし仮に平成の終わり頃に流行った
都市伝説「とりくるだうん」で例えてみたら、
八合目とはピラミッド状に積まれたワインタワーの上から八段目まで
満たせるワインを注げる神様、
九合目はもう一段下まで、おそらくこの世界は十段のワインタワーで
成り立ってるようなので、頂上の神様はすべてのグラスにワインを
満たせるのでしょう。
上のような解釈って間違ってるでしょうか?僕個人はなんだか
あってる気がします。人格的なモノも高低があるはずですが、
もともと人間的に高潔な人は神様なんかに頼らなくても、
立派な人生を送れてるはずです。神の助けが必要なのはワインタワーなら
下の方にあるグラスたちで、そんな人にまで恵みのワインを届けてくれる
からこそ、さすが!トップの頂上の神様と言えるんじゃないでしょうか。
別にそんなに拝まなくてもいい存在だと思います。
経済的に下々の者の希望を叶えてくれそうな神さまであって、
それが「九十」世界の夢物語だとワタクシ的には考えています。
ただし金井氏は観音様になぞらえて、もともとは高い位置に居るのに
すがりついてくる庶民のために、立場上妥協されてシャバの世界に
御下がりになっている、みたいな表現をしていました。
(上記の五段活用でも蠱神さまは上から2番めに位置してましたが、
わざわざ一番下の段まで御下がりに?って考え方もできるかも)
さきほどのゴンの働きを代表するのが白山菊理姫ですが、
「御蠱の蠱神はムスビの神よりこの世に派遣されてる」らしいです。
ムスビの神ってククリヒメ?とオートマチックに思いましたが、
たぶん間違ってませんよね?
つまりマネーと僕を結んでくれるってことでしょう!(笑)
金銭欲から始まったのに日月神示やククリヒメまで持ち出して、
なんともみっともない話ですが、なんだか話のツジツマ的には
成り立ってるように感じたので発表した次第です。