こんな罰当たりなことが書けるんだと思う・・・
・・・日月の神さまスイマセン(バチアテナイデ、笑)
「寸止め50回の後快楽地獄」って動画がネットの大海を
漂ってた。
僕は「一から八」「九十」に分かれてることはなんとなく
受容してたけど、なぜ「九と十」が一絡げになってるのか
とてもとても不思議だった。
だけど、「九」とはそのうち迎えるであろう絶頂「十」を
見据えた寸止めであって、この絵画で例えれば「虹の橋」が
EQUAL「9」
向こうにある山(ピーク)が、EQUAL「10」に当たるのかもしれない。
という、どうしようもない(笑)妄想が今回の記事
これを描いた金井南龍の発言を引用すれば、「10」に相当する人物は
一世紀に数人レベルで、それを知ってシマッタ僕なんかは
「9」の末席 それにも満たない四捨五入すると「9」になる
「8.5」レベルかも?と白けた気分になってくる。
「10」は知識として知っていても、正確に言えば「9」でもない。
寸止めプレイ以前の存在なんだろう(笑)
切実に「10」を求めるのは虹の橋を渡ってる最中の「9」の存在のみで
「1~8」の人間はそのじれったさを感じることもなく、しあわせな生涯
を送れるのかもしれない・・・PART1
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(半分、無意識の演技も混じってたように感じたけど)
動画のその女性は精神が「壊れちゃう壊れちゃう」と連呼してた。
「10」の快楽地獄でも精神が壊れず泰然自若としてるのが、
一世紀に数人の存在なのかもしれない (かもしれないPART2、笑)
動画を詳細に眺めると「10」を連想させる「50」の寸止めの後
ピークを迎えてる。そこに日月神示の「◯」あるいは「◯のなかの・」
を思い浮かべるのは、あまりに極論かもしれない(PART3)だけど
究極の「10」とはEQUAL究極のカタチ「⦿」なのかもしれない
PART4の、ウロボロスの蛇を思い起こさせる個人的勝手な推論・・・
全く関係ない、無意味な偶然だろうけど、動画には「50」
って数字が出てきた。
「伊勢」も「五十」で「50」アメリカの州も「50」
ごくごく自然に十進法を受容してるからこその動画の「5✕10」?
12進法と対比させて、なんだかオモシロイと思ってしまった。
図らずも(?)富士あたりを境にして「60」「50」が並立する
ことになったこの島国もオモシロイ現在進行形?
だけどそれはスメラミコトを極限までおちょくってた?徳川幕府では
存在しなかった代物だ。
「幕末維新」とは誰かさんの描いた「9 10」だったのかもね?
人間が神になるとは「9.999999999999999999999999999・・・∞」
をEQUAL「10」をみなす・見逃す行為なのかもしれない(PART5)
