それは家紋というシンボルを使えば
かなりわかりやすくネタバレ(解読)できるのでは?
という今回の記事です。
普通に思い浮かべる「菊の御紋」
中央に小さな丸があってそこから四方八方・16方に広がって
「一見」円型に見えるフォルムです。
たいする「葵の御紋」は、とても「正確な」円型があって、
その内側にギュウギュウ詰めに3つの葵の葉っぱが押し込まれてます。
よく見ると3つの柄までついていて、葉っぱが円型から派生した
その事を表しています。しかし以前の記事で書いたように中央の中央は
わずかですが隙間が空いています。
これを「まるちょん」に当てはめると
菊の御紋は天皇家という天津神の歴史的回答で
「ちょん」の最終形態なのでは?
葵の御紋の方は国津神的な回答で
「滑らかで正確な円は俺たち以外は描けない」
それは縄文的循環を連想させる形状だから、どたい天津神には
無理な話だった?「米」という循環で補おうとしたけれど
結局、一年単位で「刻まれる」それは本当の循環とはいえなかった?
その円環から生まれた自然な枝葉でぎゅうぎゅうになれば
中央という天津神は必要ない(隙間にちょこっと置いてやってもいいが)
「まる」の最終形態はそう言いたいのではないか。
三島由紀夫が自決した数日後、S45年の12月になりますが
僕が大ファンの金井南龍が月刊誌「さすら」をスタートさせます。
ずいぶん象徴的な切り替えだなあと思いました。
金井氏は縄文に価値を見出そうとしていた人物だと思うので。
弥生という国家の国選弁護人ミシマはとうとう弁護しきれなくなって、
あのような最期を?
そんな事を考えてたら芋づる式に上記の仮説が思い浮かんでました。
だからといって三島と金井南龍って「対称的な人間ですね」とか
言いたいわけじゃありません。この二人って意外と似てて
国津神対応としてあくまで「スパルタ一辺倒」で行くか
「褒めて伸ばす」で行くか、それだけの違いに見えます。
そして金井氏の一番言いたかったことは「ほんとうの神の世界」
そんな高みに普通の人間でもたどり着く可能性がある!だったと思います。
(といっても全世界で一世紀で7人くらい、笑)
その意味で「対称」に当たるのは
「国津神たちに命を捧げます。同士である天津みなさま、
応援してくださいね」的な王仁三郎かもしれません。
ふたりにとって国津神に対する(一種の)親切は、あくまで枝葉で
別な部分に個人の目指す本筋があったんでしょう。
そっちの方を興味津々に感じてしまう、2023年も身の程知らずの人間
(僕のことです)でございます。
話を最初に戻して、
つまり菊と葵が幸せにマリアージュ出来れば・・・
って話だと思いますが、その結果生まれるシンデレラストーリーが
「なんとかの世」ってやつなんでしょうね。
(シンデレラに例えたのは、別の意味もあります。
それもそのうち発表できたら。「また弥勒の世をディスってる…」
と呆れられそうですが)
国津円環が「3」を繰り出したわけなんで、対応する天津の
差し伸べる腕も「3」の倍数なんじゃないのかな?って妄想も???